2014年1月20日月曜日

シェンウーのスピーチについての個人的考察(WUDC 2010 QFについて③)


 
ということで、二つも記事を使って長々と前置きをしましたが、ここからやっと本題に入りたいと思います。
以下が、僕が考えるシェンウーのポイントに関する解釈・見方です。


⑴基本的なスタンス
一番根本にあるのは、個人主義的な世界観です、大雑把に言うと個人一人一人が自律的かつ尊厳を持った存在であり、政府が第一に尊重しなければいけないのは個々の人間である。それをGovサイドの功利主義的なスタンスにClashさせる形で、全体の利益を向上させるためであっても、個人をそのための道具としてはならない、という典型的な功利主義への反論を、今回のmotionの文脈でスタンスとして一貫させています。
さらに、人種差別と人種的外見というより具体的なmotionの文脈に合わせて、Post Racial Societyという、自身のArguementが前提とする世界観自体を明示して、その中での個人のchoiceを守ることの重要性、さらに最終的にどちらが差別問題に対処する方法論としてベターかにまで言及しようとしています。


⑵各ポイントについて

Their policy will deny the good post racial future

Their policy is going to intolerably suppress the autonomy of individual

This policy makes discrimination easier, ~with the providion of this kind of surgery in appearance will makes discrimination harder
(ここはシェンウーが噛んだこともあって上手く文章全体が聞き取れませんでしたすみません笑)
 
 

①:Oppが前提としたい世界観を全面に押し出す


ここでは、第一段階として、ただ単に差別問題が多かれ少なかれ改善された程度の状態の未来ではなく、Post Racial Societyのアイディアを基に自身のサイドが目指す理想の世界像を示しています。第二段階として、このmotionに特有のracial appearanceを変えるprocedureそのものが、Post Racial Societyという文脈の中での個人の重要なchoiceと位置付けられた世界を提示することで、motionuniquenessを出しながらPost Racial Societyをこのラウンドに合わせた形て再定義しています。さらに細かいとこですが、clothoccupationのアナロジー(example)を用いることによって、「race」を変えるという、現実味を帯びたものとして想像しにくい状態を、少しでもリアリティのあるものにしようとしている。

(a)これによって、raceを変えるという選択肢をchoiceとしてガン押しすることのimmoralityを解消。
(b)さらに、Oppに有利な世界観を一番最初に設定することで、そのあとのポイントが聞き手にとってより説得力を持ったものになる。

 

②:Govの提示したproblemの前提に対するCounter analysisの提示。

つまり、「SQでは多くのコミュニティで白人以外がみんな白人のようになりたがる」というGovの前提に対し、日本のガングロの例を出して対抗。

(a)このポイントそのものが、個人のself-actualization, self-expression(その延長としてのcommunityself-actualization)などの自由を制限することをHarmとして落とし込むことで、motionを否定する一つのポイントとして成り立っている。

(b)前述のようにGovの提示したSQの分析に対するcounter analysisとしても機能しており、Govproblemのロジックそのものを攻撃してはいないものの、現実社会ではみなが白人のようになりたがるわけでは無いことを示して、Impactを相対的に削るという、一種の反論のような機能も兼ねている。

(c)さらに全体のスピーチの中での役割として、Oppが基盤としている、「raceを個人のchoiceとして自由に選択する」というPost Racial Societyの世界観そのものを強化している。というのは、Post Racial Societyという、それ単体では現実と距離がありどうしても説得力に欠けてしまうのに対し、ガングロという現在の社会で実際に起きた現象を提示することで、Post Racial SocietySQをある程度一貫性を持った連続性のある世界のような印象を持たせている。つまり、現状で局地的にしか発生していない、ガングロのような現象が世界中のいろいろなところで起きるような社会こそ、人種間の優劣関係がなくなった理想的な世界であり、Post Racial SocietyはSQの延長線上にあるようなイメージを持ちやすくなる。

 

③:差別が悪化する

(a)みんな似たような外見になれば、差別しにくくなり、人種的外見ではなくに内面によって判断するようになる。
 
→ここは正直説明不足かなーというのが個人的な感想です。
確かにロジックそのものは明快である意味分かりやすいんですが、メカニズムも無ければ、若干自身のスタンスと矛盾しかけるリスクがあると思いました。
というのは、ここまでの流れ的に、シェンウーのゴールとしている世界は、個人が自由に人種的外見を選択して、ある程度の多様性が確保されてる状態なのかなーと思ってたのですが、ここではみんなが同じような外見になると言っていて、それじゃあそもそも個人の選択の余地などないのでは?、と思いました。
おそらく言おうとしてたのは、「人種的外見が現在よりもずっと変化しやすい、流動的な身体的特徴と認識されるようになり、人種的外見に付随する偏見や差別がこりにくくなる」といったところでしょうか。
あるいは、even ifのスタンスで、仮にGovが危惧するようにみんなが白人のようになろうとしたとしても、それによって全員が白人のような外見になれば差別自体は起こらなくなるから良いことだ、とうニュアンスでしょうか。
ここらへんは、かなり主観的な推測が入ってます。
あと、単純にこのポイントでのメインのメッセージは後半だと思うので、ここはやや軽く流したのとみるのが現実的かなと思います。 

(b)この政策そのものが人種を本質化する
→Post Racial Societyとの対比、つまりPost Racial Societyの中では人種的外見というものは流動化して誰もいちいち肌の色などから人種を想定しないのに、政府がわざわざ外見と人種を結び付けようとする

→究極的には、どんな色の服を着るかやどんな髪の色にするかが、自分が選んでいない「race」によって規定されるようになり、人種的外見的差異が強調されるようになり、逆効果になる。




...以上が僕なりのこのスピーチに関する解釈です。
特にすごいと思ったのは、前提としている世界観(Post Racial Society)が各ポイントを強化するのと同時に、その各ポイントそのものもその世界観を強化するように、スピーチの部分部分が有機的に関連しており、その上で一貫性を保っている点です。

このスピーチ単体だとやや話がふわふわしてしまうんですが、DLOでもっとSQの現実的な状況の中でこういうprocedureを必要としているという話をして、チームとして上手くバランスを取っているようにも見えます。

もう少し補足しておくと、シェンウーが実際にプレパをした時は、こんなことをごちゃごちゃ実際に考えてはいないと思います。
普段から、論理の流れに対して神経をとがらせながら、クリティカルに知識を吸収したり、ディベートの練習をしてる結果として、あのスピーチが出来たのかと思います。

あくまでこのここに書いたものは僕の個人的な"解釈”であって、当然ながら”正しい見方”のようなものではないですし、そもそもそんなものは存在しないです(笑)
しかも、ここに書いた内容は、僕個人がこのスピーチを見て何か圧倒的なものを感じて、それを可能な限り言語化してみようということで試験的にやってみたものなので、他のディベーターの人のチェックに晒されたものでも無いので、正直自分でもどの程度合理的なのかわかりません。。
ですので、可能ならばコメントとか頂けると非常にありがたいです、批判でも質問でも感想でもなんでも良いので^^


ここに書いた内容が、少しでも他のディベーターの方がこの動画を見た際に得られるものを増やす一助になれば幸いです。

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