2014年1月20日月曜日

‘Post Racial Society’ (WUDC 2010 QFについて②)


前回の記事の続きです。

前回の記事を読んでない方は、先にそちらを読んでいただけると、より分かりやすく読んでいただけると思います。。

前置きが多くて非常に申し訳ないのですが、もう一つこの記事を書く上で前提としたい概念について書きます。

 

‘Post Racial Society’という概念をご存知でしょうか。

これは、アメリカでバラク・オバマ氏が大統領選に勝利し、初の黒人大統領がアメリカで登場した後で少し話題となった(?) 考え方のようです。

アメリカに限定して話す場合は’Post Racial America’という用語で用いられるようですが。(cf: http://en.wikipedia.org/wiki/Post-racial_America

この文脈では、黒人大統領が誕生したという歴史的な事実を経たアメリカの社会を、差別問題という社会問題に関して、どう捉えるかという一つの視点として用いられています。

つまり、「黒人の大統領が誕生したアメリカはPost Racial Americaの時代に突入した」、のような感じで記述されたということです。

一般化してこの概念自体を説明すると、’Post Racial Society’とは、理論上・概念上の社会で、そこでは社会にいる誰もが肌のいろの違う人や、目の色が違う人を見ても、それをいちいち「人種」という概念に結び付けず、ただの身体的特徴上の差異として認識する、差別が解消された後の理想的な社会、といったところでしょうか。

もう少し分かりやすく言うと、肌の色が黒い人を見ても、その人を「黒人」として認識するのではなく、「肌の色が違う人」と認識する、って感じですか、あんまり分かりやすくないですね()

そうですね、たとえば今の世の中でも、背の低い人を見ても、ただ単に最初「この人背が少し低いなー」と思うくらいで、黒人差別や人種差別と同じように、「背の低い人」差別というような社会現象は存在しないですし、「背が低い」っていう身体的特徴からはその人の性格や知性について何かを連想したりしないですよね。

 人種になると、その人種を肌の色などから連想し、さらにその人の性格や品性などまでが偏見やステレオタイプを基に連想されます。外見がロマのような人を見て、物を盗まれるのではないかと無意識にに警戒したりとかが典型的なものだと思います。

 ようするに、’Post Racial Society’に突入した社会では、肌の色や目の色といった人種が連想される特徴が相対化され、背の高さや手の形のような、一般的な身体的特徴とほぼ同質のものとして認識されるようになり、結果として人種差別は起こらなくなる、という考えです。



*この部分については、この概念についてのディベートをした時のInfo. Slideの情報と、上記のWikipediaの記事の内容を基に、僕個人の知識と解釈を加えて、この記事を書くために必要な範囲で説明しています。日本語での資料がほとんど見つからず、英語媒体の資料しかなかったため、時間の制約上僕自身が万全と言えるまで学習できていません。なのでこれ以上厳密に説明できないことと、上記の内容の正確性に多少問題がある中で話を進めることについては申し訳ありません。
留学中は主にDiscriminationを専門に勉強をしていたので、背景知識については多少理解があるのでそれほど間違った解釈をしてはいないと思うのですが、念のため明記しておきました。

 

また前置きが長くなったので次の記事に続きます、長ったらしくなって本当にごめんなさいですorz

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