2014年1月20日月曜日

‘THW ban all procedures to alter one’s racial appearance’(WUDC 2010 QFについて①)



 

更新が空いてしまいましまってすみません、待っててくださった方がいたか分かりませんが(笑)
今旅行でスペインとギリシャを回っていて、その合間を見つけて書いていたのでご容赦ください(;'∀')
 
さて、前回書いたようにWUDC 2010 QFの動画(http://www.youtube.com/watch?v=kZmwpvTerxM&list=PL6-75d78H46P6Y54gKwRFj7u1t92teVTT)について書こうかなと思います。

MotionTHW ban all procedures to alter one's racial appearanceです。

 

動画全部について思いついたことを片っ端から書いてくと内容は薄いわりに量だけが多い記事になりそうので、LOのシェンウーのSubstantiveの内容面に絞って書こうかと思います。

 

この動画を取り上げようと思った理由はいくつかあるのですが、一番の理由はまあぶっちゃけ僕の趣味です()

単純にシェンウーのスピーチが好きなのと、このスピーチを聞いて自分だったらこんな内容思いつかないなーと思って、頭の片隅でどうやってあーゆー議論が思いつけるようになるのだろうと考えていました。

 

もう一つ、この記事はあくまで僕の一つの解釈の一つなのであまり信用しないでください、批判的に見てください。。

“正しい”解釈なんてのは本人に直接聞かないと分からないので()

 

 

前置きが長くなりましたが本題に移ろうと思います。

まず、このmotion: THW ban all procedures to alter one's racial appearanceについて。

イメージとしてはTHW ban cosmetic surgeryをさらに限定して、特にRaceに関係ある外見を変えることを禁止するっていうところでしょうか(必ずしも外科手術に限定はされませんが)

 

なので、基本的にはよくある、自由主義の枠組みの中での個人のchoiceをめぐったディベートに、人種やそれに付随する差別問題についての話をするっていうのが大雑把なディベートの方向性と言えると思います。

 

次に、ざっくりと実際のPMのスピーチの内容をみてみると、最初のポイントで、ヘイトスピーチやホロコーストディナイアルなどのアナロジーを用いながら、差別や、それのもととなる白人主義的な文化・考え方を改善するために、政府が個人の権利を制限することをやや功利主義的に正当化しようとしています。

さらに、2nd,3rdのポイントでpracticalの面で、そういうprocedureそのものが社会にはびこっている白人至上主義的な考え方を強化していて、それによってそのコミュニティ内の人間がますますそういうprocedureを強制されるというSQの分析、この政策によってで政府が社会に対してメッセージを送って、そういう文化やsocial norm的なものを変えることが出来る、という感じでしょうか。

 

ここで、Oppに視点を移したいと思います。

まず、この動画の内容に実際に踏み込む前に、もっとジェネラルにもし自分がOppとしてArgumentを考えようと思ったとき、どのようなアイディアが考えられるでしょうか。

 

定石通りに行くと,THW ban~というmotionの構造上、choiceの話を押していくのがラインとして思いつくと思います。

つまり、自分のracial appearanceを変えるという選択は、個人の価値観に基づいた非常に重要な選択であり、政府が何が良いかという善悪に関する考え方を一般化して禁止するというのは個人の自由の重大な侵害であるからダメだだ、という考え方です。

 

しかしこのmotionで問題となるのは、この考え方はかなりimmoralに聞こえるという点です。

なぜかというと、たとえばcosmetic surgeryの場合は、個人がそういうchoiceを求める動機が

「もっと美しくなりたい」というものであり、その動機そのものには一般的に考えてそれほどネガティブなニュアンスが含まれていないといえると思います。(逆にforced choiceirrational choiceと言っていかにネガティブであることを説明するかがGovの大きなポイントになるといった感じでしょうか)

しかし、「もっと白人みたいになりたい」という動機、もしくは「白人みたいになれば幸せになれる」という期待そのものが、そもそも差別の原因である偏見に基づいたものであり、そのような考え方そのものは、許容されるべきでないものであり、社会の中でかなりネガティブなニュアンスを含んだものと言えます。

それは、Majority側の行動の動機になった時は明らかにアウトなのですが、今回のようにMinorityの人々の行動の動機になった時はまた少し話が複雑になるのですが、それでもchoiceとしてポジティブに押すにはかなりハードルが高いのではないかと思います。

 つまり、ここで何が言いたかったというと、個人の自己決定権のポジティブな行使として話すのは、ややリスキーなのかなということです。Immoralにならないよう控えめに話せばそのポイント自体のいImpactが弱まってしまうからです。

 

 なので、この場合は「必要性」の観点から正当化するのが現実的かなと思います。

つまり、自分自身のracial appearanceが原因でいじめにあったり、差別にあったりしてるひとが一定数いる中で、差別という問題自体をすぐに解決する手段が存在せず、そのような犠牲者を効率よく救済する手段も無い中で、そういう人たちをそのまま放置するよりかは、本人が望んだ場合にはアクセスできる緊急避難用の「逃げ道」のようなものを、最後の手段として残していく方が、relatively  betterというスタンスです。

可能ならこういう手段はとらずに自分のracial appearanceを受け入れられるのが理想だけど、現実的に必要だからしぶしぶ許容するといった形でしょうか。

 

よって、Opp全体のスタンスとしてまとめると、自身のサイドの証明責任を、「差別問題を完全に解決すること」ではなく、ディベートで登場するアクターについてSQ>APを示すこと、もしくはeven if AP>SQでも個人の自由を制限する行為が,特に今回のケースでは正当化できない(Justification)とクリアにする、というのが現実的な戦略だと思います。

+αで「SQを維持していくことで差別はlong-termで解決する」といったcontextualizationi.e.昔と比べてあからさまに人種差別的な法律は禁止されるようになった、anti-discriminationのような積極的に差別を解消しようとする法律が整備されてきた、など)を打っておくと、もっと固いでしょう。

 

ここまでが、このmotion自体についての、僕が考える一般的なOppの取り得るであろうスタンスについての個人的な見解です。

もちろんですが、細かいアイディアを出そうと思えば、いくらでもここに書いた以外のスタンスも取り得ると思います。

少し長くなってしまったので、続きは次の記事に移ろうと思います。

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