2015年11月17日火曜日

Judging クラッシュの選び方


最近ふわふわした話が多いので、もうちょいpragmaticな記事を。

先日BP Noviceの関東予選の方にジャッジとして参加させてもらいましたけど、相変わらずジャッジは難しい。。

特にしばらくジャッジしないで久しぶりにジャッジすると、考えなければいけないことの多さと、ディベーターに分かりやすく説明する難しさを改めて思い知らされました(笑)

ので、自分の頭を整理する意味でも、ジャッジする際に気を付けていることを書こうと思います。



ジャッジとしての能力を評価する際にいろいろと評価基準はあると思いますが、大事なものの一つに「ラウンドにおけるイシュー(論点)を見抜く」能力があると思います。

そのディベートにおいて何が論点になっていて、どれが勝敗を決める上で一番重要か、ということを正確に把握することが、ディベーターに対して分かりやすく説得力のある形でRFDを説明する上で大事だと思います。

よくRFDでジャッジの方が、「このディベートで見たクラッシュが○個あって~..」という説明をしてるように。

そこでジャッジとして大事なのは「なぜその基準でディベートを見たのか?」という問いに対して明確に、ディベーターが納得する形で答えることです。

多かれ少なかれ、なぜその基準?という点をあまり明確にしないまま、「~の基準で見ました。まず、1つ目のクラッシュについて~」という形で基準内部の比較に突入するのを見かけます。

その前になぜその基準で見たのかという点を明確化した上でRFDを述べたほうが良いと思います。

理由としては、ディベーターの納得度、自分自身に対するイシュー選定のチェック、イシュー間の重要度の比較が出来る、などなど。。

その際に、「何をイシューとして扱うかを決めるにあたって、ジャッジが何を判断要素として考慮してよいのか」ということを理解しておくことはかなり役に立ちます。




何がrelevant(important)かについて、判断するにはジャッジブリーフィングを読むのが手っ取り早いかと。

例えば、こないだのHKDO 2015では、


What is relevant(important) in a debate??

Judges should decide what's relevant on the following basis;

1. What teams agree is true and important
2. What teams implicitly agree and important
3.What one side has successfully proven to be important
4.Where 1~3 do not apply, what the Average Reasonable Person(not the judge!)  would take to be important.

(HKDO 2015 Briefing)


というように説明されていました。

ざっくりとまとめると、ジャッジが基準として使ってよいのは、

①ラウンドにおけるコンセンサス(explicit&implicit)
②ラウンドにおけるコンセではないが、どちらかのサイドが大事だと証明し切れたもの
③Average Reasonable Personが大事だと思うであろうこと

の3つに集約できます。(特に①②>③の順で優先度がつけられてるみたいですね)

つまり、これをジャッジとしてのRFDを説明する場面の話に戻すと、「X,Y,Zの基準で評価しました。なぜかというと、~~~」の最後の理由の部分にこの3つのどれかをぶち込んでやれば良いのでしょう。

例えば、

「ラウンドにおいて~がコンセになっていたので、その基準のもとでどちらのプランがよりbetterかという方法で比較しました。」とか、

「Gov.のこのアーギュメントから、この点についてconcedeしてるようにも取れたので、Opp.の言うようにここを1つのイシューとして、ディベート全体を評価しました。」とか。

こんなイメージです。

ここらへんを意識して、最終的に自分がどういう形でdecisionを伝えるのかという明確なイメージがあると、ジャッジするときも強弱をつけながらノートが取れて少しは楽になるんじゃないでしょうか。







2015年11月16日月曜日

"Do your best and leave the rest to Providence"


人事を尽くして天命を待つ、ということが、本当の意味で強くなるために必要なことだと思う。

5年目になって、これだけは間違いないのでは、と思えたもの。

人事を尽くせば必ず結果が出るというのは真ではないけれど、人事を尽くさなかったときに勝てたことはほとんどないような。

勝ったとしても、それは相手のミスに救われた気がして、自分の手で勝利をもぎ取った感覚がない。

だから結果が出るまで人事を尽くすしか、本当の意味で勝負を楽しむということは難しいと感じる。


人事を尽くす、といっても口で言うほど簡単なものではない。

努力してるのに結果が出ないで嘆いている時は、大体人事を尽くした「気になって」、やれ自分はついていない、ディベートに向いていない、と嘆く。

人事を尽くすとは、主観的に辛いことを繰り返すということではない。

多くの場合、それは思考停止であり、「これだけ辛いことをやっているのだから結果が出るはずだ」という希望的観測に過ぎない。

客観的に自分の現状を見つめているのではなく、現実を自分の願望によって歪めて解釈していることが多い。

結果を出す点に必要なことを考え抜いて、それが楽だろうが辛かろうが身になるまで反復し、その都度やるべきことを考え抜き、試行錯誤を繰り返す。

勝つために自分が出来ることはやり切った、と自分自身に胸を張って言えるまでやりぬく。

そこには辛いことでもより大きな目標のためにやりぬく粘り強さと、常に自分の努力の方向性を客観的・批判的に見つめて修正する冷静さと柔軟さが必要。



これは根性論とか価値観のような話だけでなく、勝負の際のマインドセットに関わってくる。

要するに、ふっきれるというか、余計な不安から解放される。

もっと練習しとけばよかったという過去への後悔や、ブレイク出来なかったらどうしようという先のことへの不安で平常心がかき乱されにくくなる。

それによって、目の前の勝負により集中できるようになる。

勝利にこだわりながらも、形式的な勝敗の雑念から解放されたような心持ちになったときに、いろいろと物事がうまく回る気がする。

つまり、勝ちたいと強く思ってはいる。

それと同時に、やることはやったのだから、もうなるようになる、勝ち負けを心配したってどうにもならないのだから、あとは余計なことを考えずに、目の前のラウンドを楽しんでやろう。

これくらいの心構えになってくると、あとは自然に物事がまわる。

おそらく客観的な勝率も上がるし、おそらく試合そのものに負けても、自分の中では納得できるディベートが出来て、悔しいけれど、それなりに納得した上での負けということになりやすいのでは無いかと。




....勝負論について。

最近読んだ本で、囲碁のプロの勝負観に関わるものがあって、ディベートにも(というか勝負全般に)通ずるものを感じたので、自分なりに言語化。

自身に対する強い自戒をこめて。