2016年1月28日木曜日

The Framework of Military Intervention


ライデン時代のレクチャーのメモが出てきたので文書化してシェアしときます。

Military Interventionに関するフレームワークです。

そもそも紛争というトピック自体が複雑で、特にBPなんかだと前提の確認で時間取られまくっちゃうことが多いので、こういう前提が頭に入ってると効率よくプレパできると思います。



(A)Before War

①What is the cause??

(a)Political tensions?

(b)Economical  i.e.コンゴ ダイヤ


②Justification for the Intervention

(a)Proportionate??

(b)Only way??

(c)proxy??

③Decision Making Process

(a)Domestic
・Executives (not Parliament)
・Media
・Public Opinion
(i.e. economy, the experience of past intervention)
・ties between countries

(b)International
・UN Security Council

(B)During War

①Rules of Wars

(a)Proportionality

(b)Targeting

②Objections??

(a)Who??
i.e. NATO, AU

(b)How??
what kind of strategy??

(c)Can it work??

・Will you get support from other countries??

・Will you get support from the inside??
i.e. rebels, local leaders

・defection from the other side??


(C)After War

①Nation Building

(a)Economy (day-to-day life)

(b)Arrange proper government's system

②Punishment

(a)ICC??
 i.e. Lebanon, Uganda

(b)TRC??
i.e. Argentina, South Africa

③Peace Keeping

・Support from other countries??

・Public Opinion

・New government

・The opposition
i.e. terrorists


2016年1月13日水曜日

あけましておめでとうございます


だいぶ遅くなりましたが、あけましておめでとうございます^^
先週わーるずから帰ってきて、試験勉強やら引っ越しの準備やらでドタバタしております。


わーるずの感想や、その他諸々書こうと思っている内容の記事に関しては2月以降の時間ができたころに更新しようと思っております。

卒業前に、微力ながらなるべくコミュニティにいろいろと還元できればと考えています。


それではひとまずこれくらいで。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!m(__)m

2015年11月17日火曜日

Judging クラッシュの選び方


最近ふわふわした話が多いので、もうちょいpragmaticな記事を。

先日BP Noviceの関東予選の方にジャッジとして参加させてもらいましたけど、相変わらずジャッジは難しい。。

特にしばらくジャッジしないで久しぶりにジャッジすると、考えなければいけないことの多さと、ディベーターに分かりやすく説明する難しさを改めて思い知らされました(笑)

ので、自分の頭を整理する意味でも、ジャッジする際に気を付けていることを書こうと思います。



ジャッジとしての能力を評価する際にいろいろと評価基準はあると思いますが、大事なものの一つに「ラウンドにおけるイシュー(論点)を見抜く」能力があると思います。

そのディベートにおいて何が論点になっていて、どれが勝敗を決める上で一番重要か、ということを正確に把握することが、ディベーターに対して分かりやすく説得力のある形でRFDを説明する上で大事だと思います。

よくRFDでジャッジの方が、「このディベートで見たクラッシュが○個あって~..」という説明をしてるように。

そこでジャッジとして大事なのは「なぜその基準でディベートを見たのか?」という問いに対して明確に、ディベーターが納得する形で答えることです。

多かれ少なかれ、なぜその基準?という点をあまり明確にしないまま、「~の基準で見ました。まず、1つ目のクラッシュについて~」という形で基準内部の比較に突入するのを見かけます。

その前になぜその基準で見たのかという点を明確化した上でRFDを述べたほうが良いと思います。

理由としては、ディベーターの納得度、自分自身に対するイシュー選定のチェック、イシュー間の重要度の比較が出来る、などなど。。

その際に、「何をイシューとして扱うかを決めるにあたって、ジャッジが何を判断要素として考慮してよいのか」ということを理解しておくことはかなり役に立ちます。




何がrelevant(important)かについて、判断するにはジャッジブリーフィングを読むのが手っ取り早いかと。

例えば、こないだのHKDO 2015では、


What is relevant(important) in a debate??

Judges should decide what's relevant on the following basis;

1. What teams agree is true and important
2. What teams implicitly agree and important
3.What one side has successfully proven to be important
4.Where 1~3 do not apply, what the Average Reasonable Person(not the judge!)  would take to be important.

(HKDO 2015 Briefing)


というように説明されていました。

ざっくりとまとめると、ジャッジが基準として使ってよいのは、

①ラウンドにおけるコンセンサス(explicit&implicit)
②ラウンドにおけるコンセではないが、どちらかのサイドが大事だと証明し切れたもの
③Average Reasonable Personが大事だと思うであろうこと

の3つに集約できます。(特に①②>③の順で優先度がつけられてるみたいですね)

つまり、これをジャッジとしてのRFDを説明する場面の話に戻すと、「X,Y,Zの基準で評価しました。なぜかというと、~~~」の最後の理由の部分にこの3つのどれかをぶち込んでやれば良いのでしょう。

例えば、

「ラウンドにおいて~がコンセになっていたので、その基準のもとでどちらのプランがよりbetterかという方法で比較しました。」とか、

「Gov.のこのアーギュメントから、この点についてconcedeしてるようにも取れたので、Opp.の言うようにここを1つのイシューとして、ディベート全体を評価しました。」とか。

こんなイメージです。

ここらへんを意識して、最終的に自分がどういう形でdecisionを伝えるのかという明確なイメージがあると、ジャッジするときも強弱をつけながらノートが取れて少しは楽になるんじゃないでしょうか。







2015年11月16日月曜日

"Do your best and leave the rest to Providence"


人事を尽くして天命を待つ、ということが、本当の意味で強くなるために必要なことだと思う。

5年目になって、これだけは間違いないのでは、と思えたもの。

人事を尽くせば必ず結果が出るというのは真ではないけれど、人事を尽くさなかったときに勝てたことはほとんどないような。

勝ったとしても、それは相手のミスに救われた気がして、自分の手で勝利をもぎ取った感覚がない。

だから結果が出るまで人事を尽くすしか、本当の意味で勝負を楽しむということは難しいと感じる。


人事を尽くす、といっても口で言うほど簡単なものではない。

努力してるのに結果が出ないで嘆いている時は、大体人事を尽くした「気になって」、やれ自分はついていない、ディベートに向いていない、と嘆く。

人事を尽くすとは、主観的に辛いことを繰り返すということではない。

多くの場合、それは思考停止であり、「これだけ辛いことをやっているのだから結果が出るはずだ」という希望的観測に過ぎない。

客観的に自分の現状を見つめているのではなく、現実を自分の願望によって歪めて解釈していることが多い。

結果を出す点に必要なことを考え抜いて、それが楽だろうが辛かろうが身になるまで反復し、その都度やるべきことを考え抜き、試行錯誤を繰り返す。

勝つために自分が出来ることはやり切った、と自分自身に胸を張って言えるまでやりぬく。

そこには辛いことでもより大きな目標のためにやりぬく粘り強さと、常に自分の努力の方向性を客観的・批判的に見つめて修正する冷静さと柔軟さが必要。



これは根性論とか価値観のような話だけでなく、勝負の際のマインドセットに関わってくる。

要するに、ふっきれるというか、余計な不安から解放される。

もっと練習しとけばよかったという過去への後悔や、ブレイク出来なかったらどうしようという先のことへの不安で平常心がかき乱されにくくなる。

それによって、目の前の勝負により集中できるようになる。

勝利にこだわりながらも、形式的な勝敗の雑念から解放されたような心持ちになったときに、いろいろと物事がうまく回る気がする。

つまり、勝ちたいと強く思ってはいる。

それと同時に、やることはやったのだから、もうなるようになる、勝ち負けを心配したってどうにもならないのだから、あとは余計なことを考えずに、目の前のラウンドを楽しんでやろう。

これくらいの心構えになってくると、あとは自然に物事がまわる。

おそらく客観的な勝率も上がるし、おそらく試合そのものに負けても、自分の中では納得できるディベートが出来て、悔しいけれど、それなりに納得した上での負けということになりやすいのでは無いかと。




....勝負論について。

最近読んだ本で、囲碁のプロの勝負観に関わるものがあって、ディベートにも(というか勝負全般に)通ずるものを感じたので、自分なりに言語化。

自身に対する強い自戒をこめて。






2015年7月26日日曜日

ディベートってロジックゲーム?


お久しぶりです。

朝っぱらから蝉がやかましく鳴きやがるようになって、すっかり夏っぽくなってきましたね。

このクソ暑い中、就活と試験勉強にわれる毎日を送りつつ、何度か脳内で地球を滅ぼしかけました。


1.ディベートってなんだっけ?


さて、本題なのですが、ディベートってなんなんでしょうね?

いきなり突拍子もない質問で申し訳ないのですが。

というのも、最近ディベーター以外の人と関わることが増える中で、ディベートを普通の人に説明しなければならない機会が増えて、意外と説明するのが難しいなーと感じました。



よくディベートをしてるって言うと帰ってくる反応が、

「ロジックゲームみたいなイメージ」

とか

「あー相手を論破したら勝ちなヤツでしょwww」

とか。

なんか一般的にディベートは「反対の意見を持つ相手を、ロジックでねじ伏せるゲーム」みたいな印象が、多かれ少なかれあるみたいですね笑

橋下市長とかよく記者会見で○○新聞のアホな記者を論破してるやつとか、ああいうイメージが強いんですかね...



おそらく機械的に定義すると、

「与えられた論題(=motion)について、与えられた立場(肯定派・否定派)から、第三者である審査員を説得する競技」

といったところでしょうか。

ディベーターからしたら経験で分かりますが、一般の人が聞いたらピンとこなさそうですね。

これを一言でまとめると、

「他人を説得するゲーム」

ってとこですか。


一見当たり前のことなんですが、これは自分の中では割と面白い発見でした。

というのもディベートを実際にやっているディベーターの大部分(僕自身も含めて)ですら、「人を説得する」という部分をフォーカスしながらディベートにアプローチをしている人をあまり見たことがないような気がするんですよね。

やれロジックだ、ストラクチャーだ、マターが大事だ、マナーが大事だ、リサーチしろ、ニュースを読め、ストラテジーだ、プレパの時間が大事だetc..と例を挙げるとキリがないですが。。。


回りくどい言い回しで結局何が言いたかったかというと、おそらくディベートの本質っていうのは「人を説得する」っていう部分にあると思うんですよね。



2.「説得する」ということ

では「説得する」ってなんなんでしょうね。

みんなの人気者Wikipediaを参照すると、

説得とは社会的影響の一種であり、合理的かつ象徴・記号的であり時には論理的とは限らない手段を利用して、ある考え、態度、または行動を相手にさせる目的の行為、または別の誰かを差し向ける過程、プロセスである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E5%BE%97

とあります。

まどろっこしいので、個人的な解釈でざっくり言い換えると要するに

「人を動かす」

ってことじゃないかなと。


また、現代でも人を動かすというときによく引用される(?)、アリストテレスの『弁論術』における三種の説得方法として

-logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
-pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得

-ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得

などが挙げられています。

これを踏まえて、ディベートを再定義してみると、

「自分たちのサイドにVoteしてもらうという目的を、言語・非言語問わずゲーム内で許された表現手段を用いてジャッジに訴えかけるというプロセスを通じて達成しようとする」ゲーム

と表現できます。


3.「論理」と「感情」

無駄に理屈をこねてみたくなる性格のせいで、大分回りくどくなりましたが、要するに何が言いたいかと。

ディベートって要するに「スピーチっていう表現手段を通じて、人の心を動かすっていう一種のアートなんじゃないか」ってことです。

かなり大げさですが(笑)

ディベートって聞いて真っ先に想起されるのがロジックであることに違和感を持ったのは、論理という、人を説得する上での一要素だけを強調して一般化されているから。

さらに個人的なには、人を動かす上で本質的に大事なのは完璧な論理ではなく、もっと人間臭い感情に訴える要素だと思います。

ロジックっていうのは、他人にメッセージを伝えるための最低限のマナーやルールみたいなもので、それだけで人を感動させるすスピーチは出来ないかなと。

人間なんてそもそも論理的はなく、感情的な生き物ですし笑


だいぶ話を単純化しましたが、もちろん実際は両方大事です(笑)

現実では、そもそも最低限のロジックがない議論は、どんだけ感動的なことを言っていても説得されないですし笑

ただ、あるレベルを超えると、どうやって相手の感情を想起するか、どんな感情に訴えればよいのかなど、そういうより人間臭い部分を扱う必要が出てくるのかなと思います。

こういう見方をすることで、ディベートを、ただのロジックゲーム以上の何かとしてとらえ直すきっかけになればと思いますし、ディベートの練習をする過程で得られる能力の可能性が広がって面白いかなと。


4.ディベートをする理由


話が若干飛ぶんですが、僕は最初の2年くらいはディベートを惰性でやっていて、なんのためにディベートをやっているのかよくわかんなかったんですよね。

大会で結果を残そうとと必死に努力した先に何が残るかなーと、自分の中で必死に練習するための納得のいく理由が見つからなかったというか。

大会で結果を残して、オーソリと呼ばれるようになって、周りからチヤホヤされてえらい人間になった気分を味わえる、以外に正直あんま思いつきませんでした笑

あとは論理的思考力がつくとか、英語が話せるようになるとか、ちょっとプレゼンがうまくなるとか。

まあもともと考えること自体は好きなのと、英語は話せるようになりたいけど真面目に勉強するのはだるいから、ちょうどいいしディベートやっとくかくらいのノリで続けてました笑

んでオランダに行くことになって、環境変わるしそろそろ一回くらい本気でディベートやってみるかーと思って、多少真面目に練習してみたんですが。



過程をだらだら話すとまた長くなるんではしょりますが、真面目に練習してみたらある時期からそこそこ楽しくなってきたんですよね。

なんで楽しくなってきたのか考えたら、自分のスピーチでほかの人が驚いたり、テンション上がったり、楽しんだりしてくれる、っていうのが楽しかった、って感じです。

ちょっと前までバンドもやってたんですが、自分がライブして観た人が楽しんでくれた時の充実感と似ているというか。

もちろん以前より試合で勝てるようになったのも楽しくなった一因としてあるとは思いますが。

まあそんな感じで、どうやったら自分のスピーチを観ている人に対して何かしらポジティブな影響(感情的なものでも、気づきでもなんでも)を与えられるか、っていうことを意識しながら今はディベートをやってる感じです。

これと勝負で勝つことも徹底させようとすると、なかなか難しいのですが笑




とまあ、長くなって何が言いたかったのかというと、ディベートって面白いよね、ってことです(笑)

ただの勝ち負けのつくロジックゲーム以上の魅力があるのんじゃないか、っていう視点で一度自分が打ち込んでいるものについて考えてみるのも、新しい発見があって面白いかと。


そろそろ試験勉強します。

しばらくクソ暑い日が続きますが、頑張って生きていきましょう。


2015年5月8日金曜日

春T GF ③ 個人的RFD補足



春T GF② GFの個人的RFDの補足です。
(motion:THBT a fetus harmed in a criminal attack should be considered as a victim of crime in its own right.)

前回はGFでメインとなっていたと思われるイシューにフォーカスして書いたので全体感に欠けていたようにも思えるので、あまり明示的に触れなかったイシューについて書いていければと思います。

1.practicalのイシューについて

主にGov.からいくつかのpracticalのbenefitが説明されており、かつ反論もそれほど多くされていなかったため、ポイントとしては有効と判断しました。
しかし、どれもmotionの肯定につながるほどdevelopされていなかったり、mechanism,impacなどに関して説明不足だったこともあり、ディベートの勝敗を決める上ではそこまで重要と評価しませんでした。
前回の記事で書いたメインのイシューでどうしても差がつけられなかった場合などには、Gov.を優位に評価する理由になりえたと思います。


2.アナロジー/Exampleについて

ラウンドの中で出ていたアナロジーの評価について。
これは去年の凌霜でCAをさせてもらった時にも言ったのですが、アナロジーがあるだけで安易にそのアーギュメント全体を評価する人が多いと感じたので、ここで改めて具体的にアナロジーをどう評価するべきか(正確には僕がどうやって評価しているか笑) という部分を言語化して、少しでも誰かの参考になればと思います。
(凌霜杯(2) -次のステップに進むために-


・intergenerational responsibility

→胎児には人間と同等の権利が認められないにしても、一定程度権利が認められている、という主張の流れの中でexampleとして出されていました。

ここはジャッジとして、「現実世界において胎児に何かしらの権利が存在しうること」までは証明しきれていた」、と同時に、「そのintergenerational responsibilityがそもそもなぜ認められているのかという理由の部分の説明が不足していた(説得的でなかった)」というように判断しました。
ので、ここのアナロジーだkではGov.のケースが完全に成立するとまでは評価しきれませんでした。


-animal rights

DPMが、Opp.のmembershipのフィロへの反論として出したcounter-exampleとして出していました。
Opp.は、「membershipは生きている人間に認められ、それに付随して種々の権利はmemberに優先して認められるべきだから、胎児の権利は優先順位として下げられうる」という内容を話していました。

ジャッジとして、「反論としては有効だが、Gov.のケースの肯定までは結びついていない」というように評価しました。
まず反論として有効というのは、Opp.のmembershipという原則論的なアーギュメントに対して、例外の存在を示すことで、その普遍性を崩したという点で評価しました。

もう一つは、反論として提示されたものの、これがGov.のケースのをサポートするexampleとして機能している可能性もあったので、そこもジャッジとして検証しました。
これは、ジャッジの介入がどこまで求められるかという議論とも関連するとも考えたので触れました。
個人的な考えですが、ジャッジはディベーターが反論として提示したから機械的に反論としてしか評価しないというものではなく、柔軟にaverage intelligent voterとして許される範囲で”介入”し、考え得る可能性について検証することを怠るべきではないと思います。
BPのジャッジにおいて、反論とかもnewかつimportantなマターであれば、積極的にextensionとして評価すべきという考え方に近いかもしれません。

今回はanimal rightsと胎児のrelevancy/applicabilityに関してほぼ説明が無かったため、今回ディベートにおいて、Gov.の守ろうとしている胎児の権利をサポートするほどのanalysisではなかったと考えました。

ちなみに、ここをもっと介入しようとすると、「animal rightsのオーソドックスな理論的基盤には功利主義的な正当化と権利論的な正当化があり、胎児の権利はどちらの立場に立っても認められなさそうだから...」というように介入することも可能でしょう。
さすがにここまでやるとaverage intelligent voterとして介入し過ぎだと思います。
(ある種専門的な知識を解釈に持ち込んでいるので。。)


ここで言いたかったことは、一般的に日本のジャッジはもう少し積極的にジャッジとして介入しても良いのではないかなーと思う反面、介入するにしても常にどこまでが”必要かつ許容される介入”なのかを常に意識してほしい、ということです^^


-abortion

このディベートでGov.はabortionに真っ向からopposeし、Opp.はabortionは認められるべきというスタンスを取り、真っ向から対立していました。
ここについて、
・「abortionが認められるべきか否か」というイシューは、今回のモーションの肯定/否定に直接つながるイシューではない
・しかし両サイドがabortionに対して取っているスタンスの背後にある理由は、今回のモーションに関係する範囲において判断材料足り得る

ということが言えると思います。

ここについては、「abortionが認められるべきか否かは判断出来ないが、スタンスとしてはOpp.の方が説得的だと判断した」という感じです。

前半については、現実社会で割とcontroversialな問題なのと、モーションに直結するイシューじゃないので軽く流しました。

後半について、前々回の記事で書いた通り、abortionにopposeするGov.の説明は女性の権利を無視したうえでoffensiveなスタンスを取っていたのに対し、Opp.は女性の権利を考慮した上でabortionが認められるべきだというスタンスをとっていたため、後者のスタンスの方が説得的だと感じました。
Opp.も胎児の権利をなぜ侵害して良いのかについてengageしていなかったので、ややOpp.よりに話を取っているように見えるかもしれません。
しいて言うなら、Gov.のややラディカルな前提に基づいたreasoningより、Opp.の方が現実に沿っていて相対的に説得的だと感じたため、と言ったところでしょうか。


3.offensiveなアーギュメントへの対応

offensiveな表現に直面した時、ジャッジとしてどう対応すべきか。

結論から言うと、「そこのアーギュメントが無かったもの、もしくは全く説得的でないもの」、と評価してラウンド全体を評価する、ということになると思います。

ここで注意したいのは、offensiveな表現を見つけたからと言ってそのチーム自動的に負けにしてはいけない、ということです。

理由は、equity violationに対する罰則や調査などはequity officerの仕事であって、ラウンドの中でジャッジが罰するということは許されていないからです。

(記憶が正しければ、ライデン時代にKarin(WUDC2017のCA)のジャッジレクチャーを受けた時に言われたことなんで間違いはないと思うのですが、ちょっと確証がないので関連資料等知ってる方がいらっしゃったら裏付けを取って頂けると幸いです。。。)

昔自分もジャッジしたときにoffensiveな表現を見てそれだけで負けをつけようとしたことがあったので、もしかしたらそこらへんの対応の仕方が曖昧な人もいると思ったので補足として書きました。

今回のGFのdecisionも、「offensiveだからGov.負け」という短絡的なものではなく、
「offensiveな表現がされていた部分が、ov.のケースにとって最も重要なアーギュメントであり、そこの説得力を失った結果、相対的にOpp.のケースの方がより説得的だと考えた」という流れでジャッジしました。

8-1と盛大にマイナーしたので、そこは感情に任せてジャッジしたのではなく一応ジャッジとして出来る限り考えて出したという弁明をしておきたかった部分も正直ありますが(笑)

正直GFの途中は感情に任せてvoteしたくなりましたが、昔の失敗とレクチャーで教わったことが脳裏をよぎったので、Gov.が勝ちうる理由も自分なりに考えられるだけ考えました。
割とストレスでしたが(笑)

まあそこは置いといて、今後ラウンドの中でequity violationだと考えられる話を聞いても、冷静にジャッジとしては全体的かつ公平に評価をして、violationについてはフィードバックで注意を促すか、equity officerに訴え出るかという対応を取るのが適切かと。。



以上がGFのRFDに関する記事の補足でした。













2015年5月5日火曜日

春T GF② GFの個人的RFD

春TGF関連の記事②です。
今回はRFDについて自身のVoteに至るまでのプロセスを少し言語化できればと思います。


GFはジャッジが9人いて、8-1でGov.が優勝するという結果になりました。
ご存知の方も結構いらっしゃると思いますが、僕はOpp.にいれたので、マイナーした1の方のジャッジです。
最後の最後で派手にマイナーしました(笑)


ですので、ここで書くのはOpp.に入れた理由であって、GFをジャッジしたほか8名のRFDとはおそらく大幅に異なると思うのでご承知くださいm(__)m
アカウンタビリティーの観点からと、こういうディベートの見方をする人間がいるってことが少しでも読んでくださってる方の参考になればという趣旨から書くことにしました。

まず、ざっくりと両サイドの話から。

Gov.はメインの話としては、前提として胎児にも人間と同等でないとしても一定程度の権利が認められる。
そのため加害者は胎児の被った機会損失に対して賠償をしなければならない。
具体例として、intergenerational responsibilityという概念をあげ、環境被害にあった胎児などが訴訟を起こせる言った話をしていました。
その他のpracticalbenefitの話として、social capital、胎児に対するassaultへの抑止力、企業が胎児に害を及ぼしうる物質を使うことへの抑止力などの話もしていました。

Opp.society におけるmembershipという概念を用いて、fetusとすでに生まれた人間を区別し、memberである人間を優先させるべきとのスタンスを取っていました。
Membershipの基準として、生まれていること、第三者とのつながり、社会への貢献、social recognitionなど幾つか並列的に挙げていました。
具体的な話として、犯罪者の権利と胎児の権利がtrade-offにあることを挙げ、犯罪者への必要以上のpunishmentの危険性について述べていました。


これらを踏まえた上で、いくつか段階を踏んで書いていきます。


1.胎児に権利は認められるか?

一定程度認められるのではないかと判断。

これは一見Gov.のフィロを評価したように見えるかもしれませんが、少し違います。
結論から言うと両サイドどちらかの話を100%取ったとかではなく、両サイドともやや説明不足で決定打にかけていた感がありました。

Gov.は胎児の人間との連続性をもとにして、人間に準じた存在として扱うべきとの話を出していましたが、Opp.からの指摘に合った通り、人間へのpotentialという観点で線を引くのであれば少しgeneric過ぎてやや説得力に欠けていと思いました(ここは取り方が分かれるかと思います)。
仮に胎児の方が人になるpossibility明確に高いと評価したとしても、その基準自体の正当化まではされておらず完全に評価することは出来ませんでした。

その反面Opp.のmembershipという基準も、人として生まれてから始まるという基準はある種単純明快で分かり易かった反面、Gov.同様その基準自体の正当化がされていないこと、animal rights等の例外の存在に対してあまりうまく対処できていなかった点などから同様です。
(社会への貢献や、他のメンバーとのつながり、などはあまりにも抽象的すぎてそもそも何を示しているのか今一分かりませんでした。また、同様になぜその基準自体が重要なのかは説明されていませんでした。)

Gov.はexampleなどを出しながら、胎児の権利が認められる具体例などに触れながら説明していたので、多かれ少なかれ現実では認められうるのかな、くらいの心象に落ち着きました。



2.胎児の”どのような権利”について話をしているのか?

胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権

1において胎児の権利が部分的に認められると仮定を置いたうえで、次に判断すべきは胎児の権利のうち、具体的にどのような権利について話していて、さらにそれは今回のケースで認められるるのかだと考えました。

これにかんして、PMから一貫して出ていた話を整理すると、

「criminalの母体への攻撃によって胎児へダメージ→胎児が生まれた後に様々な障がいの形で顕在化→生活などにおいて支障が出る→APで賠償や罰則などによってそれらの機会損失等の補填を可能にする」

のような形になっていたと思います。

そして、この話の思想的な前提となる話が、前回の記事(春T GF① equityについて)でも触れた、DPMから出ていた"right to live as human"でした。

以上より、胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権、だと判断しました。



3.Opp.の守ろうとしている権利は?

(社会のメンバーである)犯罪者の権利

これはLOのスピーチから出ていたように、ざっくりまとめてしまうと、本来なら責任が無い部分に関するover-punishmentの危険性に言及していました。
もう少し丁寧にロジックを追うと、
①社会のメンバーとそれ以外を区別→社会のメンバーの権利を優先させるべき
②犯罪者=社会のメンバー
③胎児=社会のメンバーではない
ゆえに、犯罪者の権利を優先させるべき。



4."胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権"と”犯罪者の権利”のどちらを優先させるべきか?

犯罪者の権利と判断

理由ですが、そもそもGov.の"胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権"が存在しないと判断しました。

母体に危害を加えられても、胎児は人間として生きていくことは可能だからです。簡単に言ってしまえば、目が見えなかろうが、足が無かろうが、人間として生きているのだから、Gov.の前提である権利侵害がそもそも起こっていないと考えました。

これはおそらく人によっては(もしかしたら多くの人にとって)ただの屁理屈だと映るかもしれません。
ただここのロジックは、僕にとっては全く説得的ではありませんでした。
intergenerational responsibilityの概念が現実に導入されているのでしょうが、ただ理由は絶対に「人として生きる権利」の回復では無いと思います。

もう少し誤解を恐れず率直に書けば、ここのフレーミング一つで僕はvoteを変えていた可能性もあります。
もう少し遠回りな表現をしていてこの判断をすれば、自分でもバイアスに基づいた介入と認めざるを得ませんから。
ただあれだけexplicitに言われてしまった以上、Gov.に良心的に介入しようと考えても無理でした。



Opp.の犯罪者の権利については、権利侵害が無い以上、必要以上に罰を与えることは冤罪と等しいですから、ここはAverage Intelligent Voterとしてそれほど理解に苦しみませんでした。
また、Gov.のengageも自身の話をリピートするだけでしたので、効果的な反論も無かったと判断しました。。
(例えば、GWのスピーチ中にPOIで指摘がありましたが、ただ"happy to increse punishment"とか"they deserve it"のようなニュアンスのことを言って退けるだけだったり。)

*話がそれますが個人的に"they deserve it"もややoffensiveだと思うので(責任の有無をdebatesしていてそこがunclearなので)、ちょっと表現に気を付けた方が良いかなと。。

以上より、Opp.にVoteしました。



メインの話に絞って書いたので、次の記事で補足しようと思います。
(その他のマイナーイシュー、abortionのアナロジーの取り扱い、offensiveだと感じた議論をどう評価したか、などなど)