2015年11月16日月曜日

"Do your best and leave the rest to Providence"


人事を尽くして天命を待つ、ということが、本当の意味で強くなるために必要なことだと思う。

5年目になって、これだけは間違いないのでは、と思えたもの。

人事を尽くせば必ず結果が出るというのは真ではないけれど、人事を尽くさなかったときに勝てたことはほとんどないような。

勝ったとしても、それは相手のミスに救われた気がして、自分の手で勝利をもぎ取った感覚がない。

だから結果が出るまで人事を尽くすしか、本当の意味で勝負を楽しむということは難しいと感じる。


人事を尽くす、といっても口で言うほど簡単なものではない。

努力してるのに結果が出ないで嘆いている時は、大体人事を尽くした「気になって」、やれ自分はついていない、ディベートに向いていない、と嘆く。

人事を尽くすとは、主観的に辛いことを繰り返すということではない。

多くの場合、それは思考停止であり、「これだけ辛いことをやっているのだから結果が出るはずだ」という希望的観測に過ぎない。

客観的に自分の現状を見つめているのではなく、現実を自分の願望によって歪めて解釈していることが多い。

結果を出す点に必要なことを考え抜いて、それが楽だろうが辛かろうが身になるまで反復し、その都度やるべきことを考え抜き、試行錯誤を繰り返す。

勝つために自分が出来ることはやり切った、と自分自身に胸を張って言えるまでやりぬく。

そこには辛いことでもより大きな目標のためにやりぬく粘り強さと、常に自分の努力の方向性を客観的・批判的に見つめて修正する冷静さと柔軟さが必要。



これは根性論とか価値観のような話だけでなく、勝負の際のマインドセットに関わってくる。

要するに、ふっきれるというか、余計な不安から解放される。

もっと練習しとけばよかったという過去への後悔や、ブレイク出来なかったらどうしようという先のことへの不安で平常心がかき乱されにくくなる。

それによって、目の前の勝負により集中できるようになる。

勝利にこだわりながらも、形式的な勝敗の雑念から解放されたような心持ちになったときに、いろいろと物事がうまく回る気がする。

つまり、勝ちたいと強く思ってはいる。

それと同時に、やることはやったのだから、もうなるようになる、勝ち負けを心配したってどうにもならないのだから、あとは余計なことを考えずに、目の前のラウンドを楽しんでやろう。

これくらいの心構えになってくると、あとは自然に物事がまわる。

おそらく客観的な勝率も上がるし、おそらく試合そのものに負けても、自分の中では納得できるディベートが出来て、悔しいけれど、それなりに納得した上での負けということになりやすいのでは無いかと。




....勝負論について。

最近読んだ本で、囲碁のプロの勝負観に関わるものがあって、ディベートにも(というか勝負全般に)通ずるものを感じたので、自分なりに言語化。

自身に対する強い自戒をこめて。






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