2015年5月5日火曜日

春T GF② GFの個人的RFD

春TGF関連の記事②です。
今回はRFDについて自身のVoteに至るまでのプロセスを少し言語化できればと思います。


GFはジャッジが9人いて、8-1でGov.が優勝するという結果になりました。
ご存知の方も結構いらっしゃると思いますが、僕はOpp.にいれたので、マイナーした1の方のジャッジです。
最後の最後で派手にマイナーしました(笑)


ですので、ここで書くのはOpp.に入れた理由であって、GFをジャッジしたほか8名のRFDとはおそらく大幅に異なると思うのでご承知くださいm(__)m
アカウンタビリティーの観点からと、こういうディベートの見方をする人間がいるってことが少しでも読んでくださってる方の参考になればという趣旨から書くことにしました。

まず、ざっくりと両サイドの話から。

Gov.はメインの話としては、前提として胎児にも人間と同等でないとしても一定程度の権利が認められる。
そのため加害者は胎児の被った機会損失に対して賠償をしなければならない。
具体例として、intergenerational responsibilityという概念をあげ、環境被害にあった胎児などが訴訟を起こせる言った話をしていました。
その他のpracticalbenefitの話として、social capital、胎児に対するassaultへの抑止力、企業が胎児に害を及ぼしうる物質を使うことへの抑止力などの話もしていました。

Opp.society におけるmembershipという概念を用いて、fetusとすでに生まれた人間を区別し、memberである人間を優先させるべきとのスタンスを取っていました。
Membershipの基準として、生まれていること、第三者とのつながり、社会への貢献、social recognitionなど幾つか並列的に挙げていました。
具体的な話として、犯罪者の権利と胎児の権利がtrade-offにあることを挙げ、犯罪者への必要以上のpunishmentの危険性について述べていました。


これらを踏まえた上で、いくつか段階を踏んで書いていきます。


1.胎児に権利は認められるか?

一定程度認められるのではないかと判断。

これは一見Gov.のフィロを評価したように見えるかもしれませんが、少し違います。
結論から言うと両サイドどちらかの話を100%取ったとかではなく、両サイドともやや説明不足で決定打にかけていた感がありました。

Gov.は胎児の人間との連続性をもとにして、人間に準じた存在として扱うべきとの話を出していましたが、Opp.からの指摘に合った通り、人間へのpotentialという観点で線を引くのであれば少しgeneric過ぎてやや説得力に欠けていと思いました(ここは取り方が分かれるかと思います)。
仮に胎児の方が人になるpossibility明確に高いと評価したとしても、その基準自体の正当化まではされておらず完全に評価することは出来ませんでした。

その反面Opp.のmembershipという基準も、人として生まれてから始まるという基準はある種単純明快で分かり易かった反面、Gov.同様その基準自体の正当化がされていないこと、animal rights等の例外の存在に対してあまりうまく対処できていなかった点などから同様です。
(社会への貢献や、他のメンバーとのつながり、などはあまりにも抽象的すぎてそもそも何を示しているのか今一分かりませんでした。また、同様になぜその基準自体が重要なのかは説明されていませんでした。)

Gov.はexampleなどを出しながら、胎児の権利が認められる具体例などに触れながら説明していたので、多かれ少なかれ現実では認められうるのかな、くらいの心象に落ち着きました。



2.胎児の”どのような権利”について話をしているのか?

胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権

1において胎児の権利が部分的に認められると仮定を置いたうえで、次に判断すべきは胎児の権利のうち、具体的にどのような権利について話していて、さらにそれは今回のケースで認められるるのかだと考えました。

これにかんして、PMから一貫して出ていた話を整理すると、

「criminalの母体への攻撃によって胎児へダメージ→胎児が生まれた後に様々な障がいの形で顕在化→生活などにおいて支障が出る→APで賠償や罰則などによってそれらの機会損失等の補填を可能にする」

のような形になっていたと思います。

そして、この話の思想的な前提となる話が、前回の記事(春T GF① equityについて)でも触れた、DPMから出ていた"right to live as human"でした。

以上より、胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権、だと判断しました。



3.Opp.の守ろうとしている権利は?

(社会のメンバーである)犯罪者の権利

これはLOのスピーチから出ていたように、ざっくりまとめてしまうと、本来なら責任が無い部分に関するover-punishmentの危険性に言及していました。
もう少し丁寧にロジックを追うと、
①社会のメンバーとそれ以外を区別→社会のメンバーの権利を優先させるべき
②犯罪者=社会のメンバー
③胎児=社会のメンバーではない
ゆえに、犯罪者の権利を優先させるべき。



4."胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権"と”犯罪者の権利”のどちらを優先させるべきか?

犯罪者の権利と判断

理由ですが、そもそもGov.の"胎児の「人間として生きる権利」に対する損害賠償請求権"が存在しないと判断しました。

母体に危害を加えられても、胎児は人間として生きていくことは可能だからです。簡単に言ってしまえば、目が見えなかろうが、足が無かろうが、人間として生きているのだから、Gov.の前提である権利侵害がそもそも起こっていないと考えました。

これはおそらく人によっては(もしかしたら多くの人にとって)ただの屁理屈だと映るかもしれません。
ただここのロジックは、僕にとっては全く説得的ではありませんでした。
intergenerational responsibilityの概念が現実に導入されているのでしょうが、ただ理由は絶対に「人として生きる権利」の回復では無いと思います。

もう少し誤解を恐れず率直に書けば、ここのフレーミング一つで僕はvoteを変えていた可能性もあります。
もう少し遠回りな表現をしていてこの判断をすれば、自分でもバイアスに基づいた介入と認めざるを得ませんから。
ただあれだけexplicitに言われてしまった以上、Gov.に良心的に介入しようと考えても無理でした。



Opp.の犯罪者の権利については、権利侵害が無い以上、必要以上に罰を与えることは冤罪と等しいですから、ここはAverage Intelligent Voterとしてそれほど理解に苦しみませんでした。
また、Gov.のengageも自身の話をリピートするだけでしたので、効果的な反論も無かったと判断しました。。
(例えば、GWのスピーチ中にPOIで指摘がありましたが、ただ"happy to increse punishment"とか"they deserve it"のようなニュアンスのことを言って退けるだけだったり。)

*話がそれますが個人的に"they deserve it"もややoffensiveだと思うので(責任の有無をdebatesしていてそこがunclearなので)、ちょっと表現に気を付けた方が良いかなと。。

以上より、Opp.にVoteしました。



メインの話に絞って書いたので、次の記事で補足しようと思います。
(その他のマイナーイシュー、abortionのアナロジーの取り扱い、offensiveだと感じた議論をどう評価したか、などなど)







2015年5月4日月曜日

春T GF① equityについて

春Tが終わって早くも一週間が過ぎ、各大学ジェミニの準備などで少しづつまた忙しくなってきたころでしょうか。

前回の記事で書いた通り、春TのGFについて記事を書こうと思います。
equityについて。


今回のGFでは、LOがスピーチの中でPMのアクセントを真似て笑いを取るような”パフォーマンス”をしたことが問題になりました。
PM本人からequity violationの訴えが出て、LOが公式に謝罪して一応問題は終息したようです。

改めて言うまでもないですが、アクセントは個人のNationalityや文化的な背景と密接に関連しているものですし、更にMajorityが日本人というこのコミュニティの中であのような行為は非常にoffensiveであり、非難されて然るべきだと思います。

(個人的な話ですが、LOの言動がPMのマネをしているものだと、本人が声をあげるまで確信を持てず何も声をあげなかったということはとても反省しています。特に以下に指摘する言動がoffensiveだと腹を立てていながら、実際にラウンドの中で不快な思いをしていた人の存在を看過していたことに、自分自身でも呆れてしまいました。すみません。。)




ただLOのその行為が非難された反面、あのラウンドでの他にもあったoffensiveな言動について声を挙げる人があまりにも少ない点にとても違和感を覚えました。
実際GFの中で個人的にとてもoffensiveと感じた言動が多くて、途中で本当に席を立ってジャッジを放棄したくなりました(笑)

幾つかありますが、主観的に特に露骨だったと感じた2点について書こうと思います。


まず1つ目に、PMスピーチにおいて。
たしか胎児がvulnerableだから国が守らなければいけないという文脈の中で、胎児の運命はその"vessel"に左右されると言っていました。”i.e. women”だそうです。
あとは"women is the carrier of children”だそうです。

女性は胎児を入れといたり輸送するための容器らしいですね。
しかももう少し意地の悪い言い方をすると、あのabortionに反対するスタンスの流れ中で言ってると、もはや女性は器でしかなくて、胎児は将来的な人間であるという意識で、何の迷いもなくpro-life を掲げているようにすら見えてゾッとします。



2つ目に、DPMのスピーチです。
今回のモーションが胎児のどのような権利に対する賠償なのか、というかなり重要なイシューについての話の中ですが、なんと"right to be human"/"right to live  humanized life"と言っていました。
母体への侵害によって、耳が聞こえなくなった人、足を失ってしまった人、読み書きが困難になってしまった人が”人間として生きる権利”が侵害されたので、賠償しなければいけない、というお話をしていました。
障がい者の方たちは、人間らしくもなければ、尊厳も無いのでしょうか。
正直これは聞いてて耳をふさぎたくなりました。




少しキツイ口調になってしまいましたが、もちろん本人たちは悪意を持って言ったわけではないと思います。(少なくともそう信じたいです。。)
英語が母国語でない以上、不適切な言葉の使い方をすることもあれば、意図せずoffensiveな表現をしてしまうこともあると思います、僕自身もそういう失敗をしたことはあるので。

ただ悪意がないから許されるという類の話ではないと思います。
例えば、もしあの会場に障がい者の方がいらっしゃってあのスピーチを聞いたらどう感じたでしょうか。
本人がそうじゃなかったとしても、その家族や友人に障がいで苦しんでいる方がいらっしゃったらどう感じるでしょうか。
それほど想像するのが難しいことじゃないと思います。
GFという舞台で平然とこのような言動が出たことだけでもかなりショッキングなことでは無いでしょうか。


ここで書きたかったことは、個人的に彼らを非難することでないです。

極論ディベートをしている人であれば誰でもこういう発言はし得るし、それが今回は不運にも全国大会の決勝だったというだけの話です。

ここで言いたかったのは、自分自身の言葉の重みをもう少し自覚しながらディベートをしてほしいということです。

人によってはディベートは所詮自身の承認欲求を満たすためのゲームに過ぎないかもしれませんが、ディベートは同時に他人を巻き込む一種のコミュニケーションでもあります。

常に自分の言葉には聞き手がいて、あなたの言葉は多かれ少なかれ他者へ影響を与えます。
人を感動させることがある反面、ヘイトスピーチのように他者のアイデンティティを否定するようなこともあり得るのです。

いくら悪気がなくて「間違えて」相手を傷つけてしまったとしても、それは被害者が傷ついた事実を正当化するものではないです。

英語が母国語でないからとかそういう問題でもないです。

自分自身のワーディングで他者がどう感じるかということをチェックするというひと手間をかけることを惜しまなければ、かなりのものはj防げると思うので。

それを怠ってしまうのはただの怠慢です。
(ただ気を付けたうえで起こってしまうものもあるので、その時は相手に謝って次は二度と同じことを繰り返さないようにするしか無いですが)


この記事が少しでもこのような事態の再発防止の一助になればと思います。








2015年4月28日火曜日

春T 雑感


お久しぶりです、春T参加された方はお疲れ様でした。
DCAとして大会に関わらせて頂いて、僕自身いろいろと勉強させて頂いてとても学ぶことの多い大会でした。
こちらの配慮が行き届かず不快な思いをされた方もいらっしゃったかもしれませんが、多くの方から好意的なお言葉をかけてもらったり、DCAを引き受けて良かったと思いました。
参加者のみなさんが楽しいと思っていただいたり、一つでも多くのことを学んで下さっていたら幸いです。
上の代が抜けて全体として大会のレベルは多かれ少なかれ下がったことは否めないと思いましたが、同時に新2年生が成長していたりこれからが楽しみだとも思いました。


その反面、嬉しくないこともいくつか起こった大会でもあり、そういった意味でいろいろと印象深い大会でした。
特にグラファイの件が一部問題になりましたが、その件については僕なりの視点も交えながらまた別の記事にて書いていこうと思います。

結論から言うとはっきり言ってグラファイはいろいろな意味で残念でした。
他人に対して失望した点もあれば、自分自身に対しても失望した点も多々あり、何とも言えない気持ち悪さが残ったラウンドでした。

GFとは別に、ジャッジしてラウンドを見た経験も踏まえて、もう少し建設的な内容も書いていければと思います。


ここでは、参加者の皆さんへのお礼と、ざっくりとした所感で一度終わらせたいと思います。





2015年3月21日土曜日

Framing


去年のEuroのチャンピオンのAdamのworkshopが興味深かったので載せておきます。
Framingについて基本的な考え方と、テクニックなどを紹介しています。






"How to win debates without really making arguments: An Introduction to Framing" with Adam Hawksbee







レクチャーをAdam自身が昨年のEuroで実践してる(っぽい)のでこちらも合わせて見てみると面白いかもしれません。(MO)↓


2014年12月11日木曜日

”噛みつき”のススメ?


こんばんわ。。

このブログが順調に就活からの現実逃避先になってます...


まーそれは置いといて、今回は「ディベーターがジャッジのDecision/RFDに納得できない時にどう対応するか?」ということについて思ったことをダラダラ書いていこうと思います。

RFDに納得できない時って感覚ベースだと、大きく分けてジャッジへの不満・怒りが爆発するか、失望するか萎えてもういいやってなる、の2パターンのリアクションがメインじゃないかな―と思います。

まだ他にも、発狂したり、眠くなったり、お腹すいたり、バンジージャンプしたくなったりいろいろあるかもしれないですが、とりあえずここでは話を分かり易くするため便宜的に2種類と仮定して話します。。



1.ジャッジに噛みつくタイプ

ラウンド後にしっかりと説明を求めるタイプのディベーター。
この場合、以下のような理由や考えがあるのかなーと思います。

①自分が納得するまで説明を求めて、自分の中でどこを改善すべきでどこは今のままで良いのか厳密にはっきりさせたい。

②ジャッジは自身が下したdecisionに対して、debaterが納得するまで説明する責任がある

③少なくとも自分が十分と思えるレベルまで説明していたのに、ジャッジがその部分の話を理解していなかったのはジャッジとして責任があり、追及されてしかるべき

④しっかりとジャッジに対して説明を求めるという環境そのものが、ジャッジが悔しくて頑張ろうと思ったり、もっと練習しようと思ったりという成長機会につながる。



2.ジャッジに噛みつかないタイプ

ラウンド後はそれ以上RFDに関して深入りはせず、feedbackだけもらったり、evaluation sheetに思ったこと書いてそのままORに直行したりするタイプです。(僕はどちらかというとこっちのタイプです笑)
この場合は以下のような理由や考えがありうるかなーと、ちょっと主観が強いかもしれませんが。

①いくら噛みついてもdecision変わんないからもういいや。。
時間もったいないからそれだったら次のラウンドに備えて寝るか気分転換する笑

②ジャッジも完璧じゃないしたまにはミスすることもある

③ジャッジを説得できなかったのはとりあえずディベーター側として説明が不十分だったから、ジャッジに多かれ少なかれ問題あったとしてもまあ自分が悪い。

④厳しく問いつめて、今後もうジャッジしたくないとかディベートやめたいとかいう人が増えてほしくない




とまあ大雑把にこんな感じかなーと思います。。



どっちが”良い”対応なのか?


ダラダラ書いてみて何が言いたいかというと、どちらが”良い”対応なのでしょうか?

僕自身としては、割と最近までは噛みついても時間と体力の無駄なんじゃないかって考えていて、それだったら悪かったって明らかな点に関してはどういやって改善できるかっていう部分に時間を使った方が合理的かなーと考えてました。


つい最近までは、というのは今年のBPシーズンは特にいろいろこういうことに関して考え直す機会があったので自省も込めていろいろ思考を巡らせているのですが。


ただ、ジャッジに対してソフトなスタンスを取りすぎるのも、極端な話ですが緊張感がガクッと落ちて、真剣にジャッジをする人が増えるかもなーとも思ったり。(もちろん意図的ではなく無意識に)


あと僕自身がジャッジに対して噛みつかない理由は、掘り下げてみると上に書いたような理由ばかりではなく、無意識のうちに自分がジャッジした時に噛みつかれるのが嫌だから保険かけているようなコスい部分もあるような気もします....
(普段あんまりジャッジを批判したりすると、自分がジャッジでシクった時その分ブーメランとして帰ってきますから笑)

あとは自分の考えの前提にあるのが、「あまり厳しく追及し過ぎると、ジャッジの人が心が折れて諦めてしまうかも」という相手を信頼していないような部分があって、果たしてそれも自分は何様のつもりなんだろうかとも思ったり...

それよりかは、「厳しく追及しても、辛い気持ちををバネにしてこれから成長してくれるはずだ」っていう期待のもとで敢えて厳しく説明を求めた方が、ある意味健全な関係に見えなくもないです。

どっちが良いんでしょうねえ...

答えになっていないかもしれませんが、究極的には「ケースバイケース」なのでしょう。
ジャッジの人の性格に合わせて、その時にバランスよく「噛みつけ」たら、お互いにとっても生産的なやり取りになると思います。

もちろん現実ではそんな風に上手くできないから難しいんですが(笑)



いずれにせよ、どういった場合でも意識した方が良いと思うのは、「噛みつく」のもあくまでディベートと同じでコミュニケーションの一貫ですし、相手の立場も考慮する心の余裕が大切かもしれませんね。

ジャッジの人もほとんどの場合好きでディベーターの納得できないdecisionを出したわけでもないでしょうし、実力に関してはジャッジの経験や学年や練習環境など本人にもどうしようもない要素も絡みます。

逆にディベーターだって人によってはその大会のために並々ならぬ努力をして、そのdecision一つでそれが結果に結びつかなくなることもあるわけで、そういう人はもちろん納得できずに負けたらやるせないでしょうし。


とまあ何の解決策にもなってない妄言で終わってしまいそうですが、この記事で言いたかったのは、あまりこういうことが議論になってるのを見たことなかったので、こういうことにフォーカスしていろいろ考えてみたり意見交換するのも面白いのかなーと思ったので、そのきっかけになればというところです。

でわでわ。







2014年12月9日火曜日

凌霜杯(2) -次のステップに進むために-


凌霜に関する記事の続きです。
今回のモーションの意図のようなものに関して書きました。


【「そもそも論」を大切にしてほしい】

今回モーションを出すうえで意識したのは、明確な答えが無いような問題についてもう一度ゼロベースで自分で考える機会を提供するということです。

例えば、ヘイトスピーチは、free speechを規制するようなmotionで当たり前のようにアナロジーとして使われますが、そもそも日本とかアメリカはヘイトスピーチ法持たないです。
そもそもヘイトスピーチがなんで法律で規制されるべきなのか?とか、ヘイトスピーチと友達のことを「バカ!」と罵るのはどう違うのか?とか、Will Jonesのナチシンボルのスピーチ他のモーションで上手く活用できますか?とか(笑)

ジュリアンブランクのモーションだったら、そもそも国家が恣意的に入国拒否して良いのか?、何か客観的な基準は必要ないのか?、必要だとしたらどんな基準が日本にとって理想的なのか?

割といろいろな問いかけを含意したつもりです。


あと特に、1年生も結構参加していて、ちょうどディベートに慣れ始めた時期というのもあって、もう一度自分の頭でゼロから考えるということを意識してほしかったっていう意図もあります。



【日本人と"Principle"と”線引き合戦”】

もう少しspecificな問題意識として、日本人はアナロジー合戦に終始し過ぎだという印象を持っています。

いわゆる「フィロ」の議論をするとき(ここでは便宜的に”フィロ””プラクティカル”の二分論を前提とします)、線引きをしなければとあわててアナロジーを探し出すのですが、そもそもなんで線を引いているのか?、その線引き自体に妥当性がどの程度あるのか?、っていう部分に関してうまく説明できる人がとても少ない印象です。

Judge Briefingでも話しましたが、今回のジャッジテストのCGがたくさんアナロジーを出していた点や、また多くのジャッジテストを提出してくださった方がそこを過剰に評価していた点も、そういう問題の一面なのかなと思ってます。

原因としては、おそらう日本人がそもそもそのような議論が苦手である(?)ということ(http://www.huffingtonpost.jp/rootport/discuss_b_4917090.html)や、
日本のディベート界にに独特なフレームワークである"Tripple A"などの普及などによって、必要以上にアナロジーの側面が強調されていることなどが関係しているかもしれません。


例えば、ジュリアンブランクのモーションでGov.は他の国が入国拒否したり、中国が政治的信条で国が入国拒否している例などをアナロジーとして出していました。
そもそもそれらの例は基準として普遍化された時妥当なものなのでしょうか?
これは個人的な疑問なのですが、そもそも国民の一定数の署名で入国拒否できたり、政治的な信条で拒否出来るってすごく怖いもののような気がしました。
国内の多数派の考えに一致しない考えの持ち主は安易に拒否されうるし、その時の権力が気に入らない思想を持っていれば国から追い出せるという、国家権力を抑制するっていう観点から考えるとヤバそうだなと。
(もちろんそのアイディアを今回のモーションの否定につなげるという点では少し工夫が必要でしょうけど。。)


GFのTHW require international development aid budgets to be approved by popular referenda.のモーションに関して、「間接民主制を原則とする政治体制の中で、どういう時にレファレンダムという直接民主制に近い制度を導入するのか」という問いがかなり大事な論点になるわけですが、GFもかなり線引き合戦になっていた印象でした。

というのも、現状でEU加入や憲法改正の時にレファレンダムが行われているという「事実」から、それらしきレファレンダムの基準を取り出してきて、今回のinternational aid budgetがそれに当てはまるか否かというクラッシュになっていました。




これは感覚ベースの話で誤解だったらすみませんなのですが、フィロには必ずアナロジーが必要であるといった誤った認識が一定程度広まっている気がします。

しかし、基本的にフィロはその性質上アナロジーを必ずしも必要としません。

もちろん説得力を上げるためにアナロジーがあった方がベターであるという場面は多く存在しますが、それは普通のアー
ギュメントに関してexampleがあったほうが良い場面と、なくても問題がない状況があるのと同じことで、何もフィロに特別なことではありません。

アナロジーが常に必要なら、progressiveな政策をサポートしなければいけないGov.は100%勝てません。
クォータ制がとられていなかった時代にTHW introduce female quotaのディベートをするとGov.が勝てないということになってしまいます(笑)


例えば今回のGFのレファレンダムの基準に関して、Govは既存のexampleに頼って基準を設定しても、どうしてもinternational aid budgetっていうものをレファレンダムの基準の内部に落としこむのは難しかったかもしれません。

そうなったときに、そもそも民主主義っていうのが民意の反映っていうことを重視しているのに、現状レファレンダムがこんなに少ないのはなぜなのか?、もっとレファレンダムを採用して国民の意見をより反映させた方がDemocracyとしては良いのではないか?、っていう疑問が出れば、「民主主義」っていう第一原理から、理想的な民主主義像、そこから新しいレファレンダムのフレームワークを導出するということも可能であると思います。

難しいのは、全ての国家の意思決定をを国投票でやるということは効率性と実現可能性の観点から困難なので(だからベースは間接民主制)、じゃあどうやってpriorityをつけてレファレンダムを採用していくか、という部分に関して、説得力のあるフィロが必要になってくると思います。


ちなみに補足しておくと、スイスとかはレファレンダムをバンバンやっているので、一応exampleもあります(笑)
<参照>
http://www.swissinfo.ch/jpn/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E6%8A%95%E7%A5%A8%E6%89%80%E3%81%AB%E9%80%9A%E3%81%86%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E4%BA%BA/8235846



まとめますと、アナロジーを投げる前に、そのアナロジーは何をサポートしているのか、そのアナロジーの存在はモーションの肯定/否定において本当に重要なのか、常に批判的に考えることが大切です。

なので、フィロの議論をする際に、すぐアナロジー探したりTriple Aにはめ込もうとしないで、普通のアーギュメントと同じように、「主張、根拠、前提」ベースで考えていくと良いのではないかと思います。

現実世界で採用されている基準が必ずしも理想的なものであるとは限らないということ、必要であればそれを疑って、より理想に近いフィロを創造することを恐れないでほしいということです。

そこに「線引き合戦以上」の、フィロの議論の面白さがあると思います。

今回出したモーションがこういうことを再考するきっかけになれば幸いです。

でわでわ



凌霜杯(1) -モーション解説-


先月は凌霜杯お疲れ様でした。
今回はCAを務めさせてもらって、力足らずでいろいろご迷惑かけたりしてしまったこともありましたが、その一方で楽しかったって言ってくださる方もいて素直に嬉しかったです、ありがとうございました。
ACのメンバー、コミやランナーの方たちもお疲れ様でした、本当にいろいろ助けられました。

今回は出したモーションについて、特に僕が個人的に出したいって言ったモーションに関して簡単な説明とその意図を書いていければなと思います。


【Motions】 
R1: THW require isolated communities to introduce "Rumspringa."
R2: In states where hate speech is illegal, THW abolish hate speech laws.
R3: THBT Japanese government should refuse Julian Blanc to cross its border.
R4: THBT developing nations should prohibit slum tourism.
QF: Assuming technology exists, THW incapacitate juries from recognizing the racial/ethnic background of suspected criminals and victims.
SF THW give up the Euro.
Rookie GF: THW allow minors to take gender reassignment surgery without parental consent.
GF: THW require international development aid budgets to be approved by popular referenda.


そのうち
R2: In states where hate speech is illegal, THW abolish hate speech laws.
R3: THBT Japanese government should refuse Julian Blanc to cross its border.
SF THW give up the Euro.
GF: THW require international development aid budgets to be approved by popular referenda.

の4つは割と個人として出したいと言って出させてもらったモーションです(笑)

R2: In states where hate speech is illegal, THW abolish hate speech laws.
ディベーターならおなじみヘイトスピーチです。
Gov.は主にヘイトスピーチ法のabuseの危険性とか、public discourseの話とかが出来ると思います。
たしかどっかの国でマイノリティへの国の補助を「特権」とコラムで記した人がヘイトスピーチ法の適用を受けたとかいう事件もありました、興味ある方は調べてみて下さい^^
Opp.はそのままヘイトスピーチがなんで禁止すべきなのか、またもっとマクロにどういう時にfree speechを制限できるのかということ。
あとは、ほんとにヘイトスピーチ法がないとそういう事件に対処できないのかっていう話も出せるかと。
例えば、在特会が朝鮮学校の前で半ば脅しに近いヘイトスピーチをしていたのは、本来だったら威圧業務妨害とかで対応できるそうです。

<参考>


R3: THBT Japanese government should refuse Julian Blanc to cross its border.
ジュリアンブランクってYouTubeで調べたらいろいろ面白い動画が出てきます。
いろいろ問題発言して、その件に関して一応謝罪はしてるみたいです、本当に反省しているかは謎ですが(笑)
これはオーストラリアやイギリスでは入国を拒否されて、日本の外務省は相変わらずあいまいなスタンスを取っているようで。
どういう時に入国を拒否できるか、もしくはどういう時に拒否すべきか。
特にジュリアンブランクみたいにそもそも犯罪者かどうかわからなかったり、民間人の思想(?)をもとにどこまで国が権力を行使して良いのか。
いろいろ考えていくと面白い論点だと思います。


SF THW give up the Euro.
ユーロについての基本的な理解を問うある意味超ストレートな論題です。
僕自身経済に関してそれほど深い理解があるわけではないので踏み込んだ話はあえて言及しませんが、ユーロの構造的問題として、ECBが金融政策を域内で一括して行っているのにも関わらず、各国が財政政策を自分の好きなようにやっていて、普通の国でやっているように金融政策と財政政策の足並みをそろえて対応できないという点があると思います。
あとはユーロを廃止した際に、EUというpolitical unionにどういう影響があるかという話も出来るかなーと思います。
興味のある人は以下のリンクを参考にしてみて下さい、ユーロに関する解説記事と、実際に同じ論題でステファニーベルとかトップディベーターが議論している動画です。。

<参考>
http://marketplace-debate.blogspot.jp/2011/12/part-1.html
http://marketplace-debate.blogspot.jp/2011/12/part-2.html
http://marketplace-debate.blogspot.jp/2011/12/part-3.html

https://www.youtube.com/watch?v=8K222vPeflg


GF: THW require international development aid budgets to be approved by popular referenda.

去年のEuroのモーションから引っ張ってきました。
Aidとdemocracyは日本人が結構苦手なのではないかと思っていたので出しました。
Aidに関しては、募金して「いいことをした」っていう満足感を得てる人はたくさんいるけど、じゃあその自分が募金したお金っていうのが本当に意図したとおりに届いているのか、もしかしたら自分の寄付したお金がさらなる紛争や悲劇を招いていないか、っていうことまで考えて募金している人がどれだけいるのか、っていう個人駅な問題意識がありました。
(別に募金とか援助全体に反対という極端な意見を持っているわけではないです笑)

レファレンダムっていうのも、現状で民主主義っていうのがRepresentationとefficiencyってのがどういうバランスで動いているのか、また今後どういう民主主義の形をとっていくべきなのか、っていうのを問う上では良い切り口だと考えました。

援助については、僕もそこまでじっくり読めてはいないのですが、以下の書籍が面白いと思うので興味あったらぜひ読んでみて下さい。

<参考>
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E2%80%95%E7%B4%9B%E4%BA%89%E5%9C%B0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%80-%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4492212035




ざっくりとですが、モーションに関する説明でした。。
次の記事で今回のモーションの意図について書くので興味があればそちらも読んでいただければと思います^^