2015年5月4日月曜日

春T GF① equityについて

春Tが終わって早くも一週間が過ぎ、各大学ジェミニの準備などで少しづつまた忙しくなってきたころでしょうか。

前回の記事で書いた通り、春TのGFについて記事を書こうと思います。
equityについて。


今回のGFでは、LOがスピーチの中でPMのアクセントを真似て笑いを取るような”パフォーマンス”をしたことが問題になりました。
PM本人からequity violationの訴えが出て、LOが公式に謝罪して一応問題は終息したようです。

改めて言うまでもないですが、アクセントは個人のNationalityや文化的な背景と密接に関連しているものですし、更にMajorityが日本人というこのコミュニティの中であのような行為は非常にoffensiveであり、非難されて然るべきだと思います。

(個人的な話ですが、LOの言動がPMのマネをしているものだと、本人が声をあげるまで確信を持てず何も声をあげなかったということはとても反省しています。特に以下に指摘する言動がoffensiveだと腹を立てていながら、実際にラウンドの中で不快な思いをしていた人の存在を看過していたことに、自分自身でも呆れてしまいました。すみません。。)




ただLOのその行為が非難された反面、あのラウンドでの他にもあったoffensiveな言動について声を挙げる人があまりにも少ない点にとても違和感を覚えました。
実際GFの中で個人的にとてもoffensiveと感じた言動が多くて、途中で本当に席を立ってジャッジを放棄したくなりました(笑)

幾つかありますが、主観的に特に露骨だったと感じた2点について書こうと思います。


まず1つ目に、PMスピーチにおいて。
たしか胎児がvulnerableだから国が守らなければいけないという文脈の中で、胎児の運命はその"vessel"に左右されると言っていました。”i.e. women”だそうです。
あとは"women is the carrier of children”だそうです。

女性は胎児を入れといたり輸送するための容器らしいですね。
しかももう少し意地の悪い言い方をすると、あのabortionに反対するスタンスの流れ中で言ってると、もはや女性は器でしかなくて、胎児は将来的な人間であるという意識で、何の迷いもなくpro-life を掲げているようにすら見えてゾッとします。



2つ目に、DPMのスピーチです。
今回のモーションが胎児のどのような権利に対する賠償なのか、というかなり重要なイシューについての話の中ですが、なんと"right to be human"/"right to live  humanized life"と言っていました。
母体への侵害によって、耳が聞こえなくなった人、足を失ってしまった人、読み書きが困難になってしまった人が”人間として生きる権利”が侵害されたので、賠償しなければいけない、というお話をしていました。
障がい者の方たちは、人間らしくもなければ、尊厳も無いのでしょうか。
正直これは聞いてて耳をふさぎたくなりました。




少しキツイ口調になってしまいましたが、もちろん本人たちは悪意を持って言ったわけではないと思います。(少なくともそう信じたいです。。)
英語が母国語でない以上、不適切な言葉の使い方をすることもあれば、意図せずoffensiveな表現をしてしまうこともあると思います、僕自身もそういう失敗をしたことはあるので。

ただ悪意がないから許されるという類の話ではないと思います。
例えば、もしあの会場に障がい者の方がいらっしゃってあのスピーチを聞いたらどう感じたでしょうか。
本人がそうじゃなかったとしても、その家族や友人に障がいで苦しんでいる方がいらっしゃったらどう感じるでしょうか。
それほど想像するのが難しいことじゃないと思います。
GFという舞台で平然とこのような言動が出たことだけでもかなりショッキングなことでは無いでしょうか。


ここで書きたかったことは、個人的に彼らを非難することでないです。

極論ディベートをしている人であれば誰でもこういう発言はし得るし、それが今回は不運にも全国大会の決勝だったというだけの話です。

ここで言いたかったのは、自分自身の言葉の重みをもう少し自覚しながらディベートをしてほしいということです。

人によってはディベートは所詮自身の承認欲求を満たすためのゲームに過ぎないかもしれませんが、ディベートは同時に他人を巻き込む一種のコミュニケーションでもあります。

常に自分の言葉には聞き手がいて、あなたの言葉は多かれ少なかれ他者へ影響を与えます。
人を感動させることがある反面、ヘイトスピーチのように他者のアイデンティティを否定するようなこともあり得るのです。

いくら悪気がなくて「間違えて」相手を傷つけてしまったとしても、それは被害者が傷ついた事実を正当化するものではないです。

英語が母国語でないからとかそういう問題でもないです。

自分自身のワーディングで他者がどう感じるかということをチェックするというひと手間をかけることを惜しまなければ、かなりのものはj防げると思うので。

それを怠ってしまうのはただの怠慢です。
(ただ気を付けたうえで起こってしまうものもあるので、その時は相手に謝って次は二度と同じことを繰り返さないようにするしか無いですが)


この記事が少しでもこのような事態の再発防止の一助になればと思います。








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