Parliamentary Debateという即興型英語ディベートに関して、思ったことをつらつらと、気の向くままに吠え綴ります。 Debateという眼鏡を通して、人間とか社会とかといふものについて考察してみるBlog
2018年2月25日日曜日
〔コラム〕 Leiden回想録 ③ ~ 英語力コンプレックスをこじらせて ~
【英語力コンプレックスの肥大化】
前回の記事で書いた通り、ヨーロッパで初めての大会(ベルリン IV)に出場し、チーム・個人成績ボロボロで、自分の中では英語力が一番の課題だという認識に至りました。
ベルリンIVで判明した課題は大きく2点。
① 発音に少し癖があり、特に速く話したときなどは、ジャッジに理解されない
② 相手の話していることが聞き取り切れないため、engage漏れが大量発生
さらにこの大会後に、EUDCの部内選抜があり、そこでさらにコンプレックスが悪化しました。
結論から言うと、私はDebaterとして出ることは叶わず、ジャッジで出場することになりました。
Leidenの看板を背負って、EUDCに出場するのは一つの目標だったので、少なからず悔しかったです。
そこで明らかにいつもわけわからないことを話していた(ごめんなさい)Leidenのメンバーが選抜を通っていて、さすがにショックでした。
選抜の方法に関しては、部外の第三者を招待してそれなりにフェアな条件で選抜をしていた(はず)なので、なおさら自身の英語が分かりづらいせいでいろいろと伝わっていないのだなと、テンション下がりました。
【英語の猛特訓を開始するも・・・】
オランダ人含め、ヨーロッパのEPL/ESL勢とまともにやり合うためには相当程度の英語力が必要だという結論に至り、早速英語力を鍛えるためのトレーニングを開始。
毎日PodcastでESL向けの英語教材を聞いてディクテーション・シャドーイングをしたり、大学受験時代に使っていた教材を引っ張り出してきて基礎例文を頭に叩き込みなおしたり、一時期は受験生の頃並に英語の勉強をしていました。
ディベートの知識のインプットも全部英語の媒体に変え、家にいるときは基本的にはYouTubeでディベートの動画を流していました。
とりあえず、生活の中から可能な限り日本語を排除し、英語を頭に大量に流し込むことだけを考えて生活をしていました。
脳みそがどうやって言語情報を処理しているのかも理解しようと、ネット上で観れる論文とかを漁ってみたり、ともかく思いつく限りのことを試してみました。
しかし、想像に難くないと思いますが、やっていく中で「なんで日本でも出来るような英語の勉強を、オランダでやっているんだろう」という根本的な疑念が頭をよぎり、長続きしませんでした。
そもそも、幼い頃からテレビで日常的に英語に触れてきているオランダ人に、純ジャパの私が数か月猛特訓したところで追いつくのは現実的でない、という非常に単純な話だったのです。
そのことに気付いて、さらにテンションが下がりました。
【ディベートに勝つだけなら、英語力はそこそこで良い】
上述のように、「英語力を鍛える」という練習の方向性が間違ってたことに気づき、しばらくディベートが嫌になって練習を放棄し、ふらふらとヨーロッパを旅行してました。
もうどうやったって英語力では勝てないし、言ってる事わからない伝わらないし、ほどほどにディベートやってあとは好きなだけ旅行して日本に帰ろう、くらいの気分でした。
ただ、しばらく練習から離れていろいろと考えていく中で、そもそも英語力以外の部分で戦えればあとは何とかなるのでは、という発想に至りました。
・英語を話すことに関しては、今の英語力で話し方を工夫(ストラクチャーを整える、ゆっくり話す、等)することで、相当程度改善可能
・英語の聞き取りに関しては、極端な話、モーション見て相手がどんなことを話してきそうか予想が出来てしまえば、相手の英語が全部聞き取れなくても反論出来るし、勝てる。
・仮に反論できなくても、自分たちの立論がそもそも相手を上回っていれば、勝つことは出来る(良い悪いは別として)
ざっくりですが、以上のような考えから
「英語力を今以上に向上させることは諦めて、ディベートの技術や知識量で差別化を図る」
という方向へ練習の仕方を変えてみました。
ディベートの技術であれば、普段の練習で試行錯誤をすれば、比較的短期で効果が出るのでは、という考えがありました。
また、もともと本を読んだり新しいことを学ぶのは好きだったので、知識の面でなら、時間をかければそこそこのレベルで張り合えるのでは無いか、という淡い期待もありました。
そんなこんなで、やっと練習の方向性が定まり、あとは着々と努力を積み重ねるのみという状態になり、練習にも復帰するようになりました。
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