Parliamentary Debateという即興型英語ディベートに関して、思ったことをつらつらと、気の向くままに吠え綴ります。 Debateという眼鏡を通して、人間とか社会とかといふものについて考察してみるBlog
2018年2月11日日曜日
〔コラム〕 Leiden回想録 ② ~ ヨーロッパで初めての大会 Berlin IV ~
LDU(Leiden Debating Union)に参加して、その後も何回か練習に参加してたのですが、
当然普通に強い人が結構いて、何が起きたかよく分からぬまま虐殺される日々を過ごしていました。
2月にちょうどLeiden OpenというLDU主催の大会が実施され、入部早々英語もまともに話せない中、コミ兼ジャッジで駆りだされてへとへとになりました。
ちょうどイギリスに留学していた中国人の友人がLeiden Openに参加していたので、
なんとかぼっちは回避してソーシャルとかも乗り切りました。
【そうだ、ベルリンに行こう】
メンバー間のやりとりは、基本的にfbのメンバーページ上で行われ、そこで大会の告知がありました。
スプレッドシート上で直近の大会をリストアップしていて、出たい大会があれば、そこに各自がJudgeかSpeakerの欄に名前を記入する、という形式でした。
大会のリストを眺めながら、ひとまず直近では6月にベルリンで大会があったので、そこにエントリーしてみました。
ライデンからは1チーム+1ジャッジの3人で出場することになり、
運良くブレイクできたらなあ、なんて淡い期待を抱いていました。
【ベルリンへ.】
そんなこんなであっという間に出発日になり、いざベルリンへ。
前入りしたので、市内観光して、ビール飲みながらソーセージ食って、というベタなことを。
<ベルリン駅>
翌日がレジだったため、ホステルをチェックアウトし、会場へ。
到着すると、ドイツ人のコミの方々が温かく迎えてくれました。
そこで衝撃的だったのが、オランダ人の友人が、ドイツ人のコミと話す際に、お互い勝手に自国語でペラペラ話してコミュニケーションが成立していたことでした。
なんで分かんの?と聞いてみたら、ドイツ語とオランダ語はかなり似ているため、お互い話せはしなくても意味が分かるらしく。
そんなこんなでOpening Ceremonyの会場へ連行され、大会が始まりました。
【結果は....】
R1は、3位くらいでスタート。
R2, R3 は英語が聞き取れないし、結構苦しかったのですが、2位~3位らへんだった気がします。
ブレイクはさすがに厳しいだろうかなと思い、せめて最後は勝って終わろうと、R4に臨みました。
周りもよくわからん話をしていたので、1位か、せめて2位くらいは取れたのでは、とドヤ顔する準備して、ジャッジのcallを待ちました。
結果、、、
4位でした。
思わず聞き返しました。
結果はやっぱり、、、
4位ンゴ
RFDを聞いていたら、ほとんどこちらの話した内容が反映されていませんでした。
さすがにイラジャちゃうかと思い、ラウンド後にフィードバックをもらいに行くついでに
いろいろ聞いてみました。
ジャッジ曰く、
「うーん、変なアクセントで早く話してるから、何言ってるか分からんかった☆」
「次からはもっとゆっくり話そう」
とのこと。
涙腺崩壊5秒前でした。
大会終わってみて、スピーカースコア確認したところ、下から観たらベストスピーカーもらえる順位。
挙句の果てに、ディベート初めて3か月のチームメイトよりも点数が低いという、先が思いやられるスタートでした。
【焦り】
そんなこんなでボコボコにされた大会もあっという間に終わって、ライデンの人らとはベルリン駅でバイバイし、一人で旅行でチェコへ向かいました。
チェコへ向かう列車の中で、まずは英語力を何とかせねば、と自分の中で焦りが芽生えていました。
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