Parliamentary Debateという即興型英語ディベートに関して、思ったことをつらつらと、気の向くままに吠え綴ります。 Debateという眼鏡を通して、人間とか社会とかといふものについて考察してみるBlog
2018年2月26日月曜日
[大会運営]ブレイクラウンドだけジャッジ参加ってオッケーなの?
先日のディベすすにて、「大会において、2日目だけジャッジする」ことに関する問題提起がされたようなので、簡単に私見を。
【1日参加が認められるようになった背景】
・以下3つのニーズを満たすため。
<大会側>大会によっては質の高いジャッジを確保するのが困難(特に社会人参加可の大会)
<ジャッジ側> 土日両日参加必須だと出場が難しいので1日だけの参加も許可してほしい
<参加者側>提供ジャッジ確保のため、1日ずつのジャッジ参加も許可してほしい
・原則として、1日目だけの参加も許可。ただし、提供ジャッジとしては0.5人としてカウント
・ACの判断によっては、2日目(ブレイクラウンド)だけの参加も許可(ジャッジテスト、予選ラウンド免除)
【ブレイクラウンドのみ参加の問題点】
①〔ジャッジの質の担保〕
過去に実績を残しているからといって、今も良いジャッジができるとは限らないのでは?
②〔ジャッジ間での公平性〕
他のジャッジが「ジャッジテスト→予選(ディベーター/ジャッジからのスコアリング)」という審査を受けている中、ACの独断でブレイクラウンドだけ審査をするのは不公平ではないか?
【ACがチェックをしていれば特に問題なし?】
個人の結論として、ACの判断であれば問題ない、という結論です。
ただし、条件付きで。
以下、理由です。
・ACは大会運営上の権限として、ジャッジの人事権を与えられている
・ジャッジの人事権に関しては、「何点以上であればブレイク」というようなブレイク権限に関する基準の設定も含む。かつ、ブレイクラウンドでのジャッジのアロケーションも原則ACが判断することから、ACはジャッジの招聘・選抜・配置に関して広範な裁量権(およびそれに伴う責任を持つ)
・「過去の実績」によるスクリーニングによって、最低限の質の担保はされている(ジャッジテスト免除も同様のロジック)
・2日目から参加のジャッジは、ジャッジブレイクの資格は当然持たない
但し、可能であれば以下のような措置が取られることが望ましいかと。
・ブレイクラウンドの最初のラウンドにて、以下条件の下ACが対象ジャッジのRFDを精査
① ジャッジが3名以上
② 対象ジャッジ以外のジャッジに最低1名はACを含む
③ AC含む過半数のジャッジは、予選時のスコア上位
④ Vote後、一番最初に対象ジャッジがRFDを説明。その内容をもって、ACの責任で判断
・大会直前にジャッジとして練習会に参加することを義務化(最低何ラウンドジャッジ、等)
・考慮するジャッジの実績は、過去3年程度のものに限定
簡単にですが、以上です。
今後の大会運営のお役に立つと幸いです(^^)
2018年2月25日日曜日
〔コラム〕 Leiden回想録 ③ ~ 英語力コンプレックスをこじらせて ~
【英語力コンプレックスの肥大化】
前回の記事で書いた通り、ヨーロッパで初めての大会(ベルリン IV)に出場し、チーム・個人成績ボロボロで、自分の中では英語力が一番の課題だという認識に至りました。
ベルリンIVで判明した課題は大きく2点。
① 発音に少し癖があり、特に速く話したときなどは、ジャッジに理解されない
② 相手の話していることが聞き取り切れないため、engage漏れが大量発生
さらにこの大会後に、EUDCの部内選抜があり、そこでさらにコンプレックスが悪化しました。
結論から言うと、私はDebaterとして出ることは叶わず、ジャッジで出場することになりました。
Leidenの看板を背負って、EUDCに出場するのは一つの目標だったので、少なからず悔しかったです。
そこで明らかにいつもわけわからないことを話していた(ごめんなさい)Leidenのメンバーが選抜を通っていて、さすがにショックでした。
選抜の方法に関しては、部外の第三者を招待してそれなりにフェアな条件で選抜をしていた(はず)なので、なおさら自身の英語が分かりづらいせいでいろいろと伝わっていないのだなと、テンション下がりました。
【英語の猛特訓を開始するも・・・】
オランダ人含め、ヨーロッパのEPL/ESL勢とまともにやり合うためには相当程度の英語力が必要だという結論に至り、早速英語力を鍛えるためのトレーニングを開始。
毎日PodcastでESL向けの英語教材を聞いてディクテーション・シャドーイングをしたり、大学受験時代に使っていた教材を引っ張り出してきて基礎例文を頭に叩き込みなおしたり、一時期は受験生の頃並に英語の勉強をしていました。
ディベートの知識のインプットも全部英語の媒体に変え、家にいるときは基本的にはYouTubeでディベートの動画を流していました。
とりあえず、生活の中から可能な限り日本語を排除し、英語を頭に大量に流し込むことだけを考えて生活をしていました。
脳みそがどうやって言語情報を処理しているのかも理解しようと、ネット上で観れる論文とかを漁ってみたり、ともかく思いつく限りのことを試してみました。
しかし、想像に難くないと思いますが、やっていく中で「なんで日本でも出来るような英語の勉強を、オランダでやっているんだろう」という根本的な疑念が頭をよぎり、長続きしませんでした。
そもそも、幼い頃からテレビで日常的に英語に触れてきているオランダ人に、純ジャパの私が数か月猛特訓したところで追いつくのは現実的でない、という非常に単純な話だったのです。
そのことに気付いて、さらにテンションが下がりました。
【ディベートに勝つだけなら、英語力はそこそこで良い】
上述のように、「英語力を鍛える」という練習の方向性が間違ってたことに気づき、しばらくディベートが嫌になって練習を放棄し、ふらふらとヨーロッパを旅行してました。
もうどうやったって英語力では勝てないし、言ってる事わからない伝わらないし、ほどほどにディベートやってあとは好きなだけ旅行して日本に帰ろう、くらいの気分でした。
ただ、しばらく練習から離れていろいろと考えていく中で、そもそも英語力以外の部分で戦えればあとは何とかなるのでは、という発想に至りました。
・英語を話すことに関しては、今の英語力で話し方を工夫(ストラクチャーを整える、ゆっくり話す、等)することで、相当程度改善可能
・英語の聞き取りに関しては、極端な話、モーション見て相手がどんなことを話してきそうか予想が出来てしまえば、相手の英語が全部聞き取れなくても反論出来るし、勝てる。
・仮に反論できなくても、自分たちの立論がそもそも相手を上回っていれば、勝つことは出来る(良い悪いは別として)
ざっくりですが、以上のような考えから
「英語力を今以上に向上させることは諦めて、ディベートの技術や知識量で差別化を図る」
という方向へ練習の仕方を変えてみました。
ディベートの技術であれば、普段の練習で試行錯誤をすれば、比較的短期で効果が出るのでは、という考えがありました。
また、もともと本を読んだり新しいことを学ぶのは好きだったので、知識の面でなら、時間をかければそこそこのレベルで張り合えるのでは無いか、という淡い期待もありました。
そんなこんなで、やっと練習の方向性が定まり、あとは着々と努力を積み重ねるのみという状態になり、練習にも復帰するようになりました。
2018年2月11日日曜日
〔コラム〕 Leiden回想録 ② ~ ヨーロッパで初めての大会 Berlin IV ~
LDU(Leiden Debating Union)に参加して、その後も何回か練習に参加してたのですが、
当然普通に強い人が結構いて、何が起きたかよく分からぬまま虐殺される日々を過ごしていました。
2月にちょうどLeiden OpenというLDU主催の大会が実施され、入部早々英語もまともに話せない中、コミ兼ジャッジで駆りだされてへとへとになりました。
ちょうどイギリスに留学していた中国人の友人がLeiden Openに参加していたので、
なんとかぼっちは回避してソーシャルとかも乗り切りました。
【そうだ、ベルリンに行こう】
メンバー間のやりとりは、基本的にfbのメンバーページ上で行われ、そこで大会の告知がありました。
スプレッドシート上で直近の大会をリストアップしていて、出たい大会があれば、そこに各自がJudgeかSpeakerの欄に名前を記入する、という形式でした。
大会のリストを眺めながら、ひとまず直近では6月にベルリンで大会があったので、そこにエントリーしてみました。
ライデンからは1チーム+1ジャッジの3人で出場することになり、
運良くブレイクできたらなあ、なんて淡い期待を抱いていました。
【ベルリンへ.】
そんなこんなであっという間に出発日になり、いざベルリンへ。
前入りしたので、市内観光して、ビール飲みながらソーセージ食って、というベタなことを。
<ベルリン駅>
翌日がレジだったため、ホステルをチェックアウトし、会場へ。
到着すると、ドイツ人のコミの方々が温かく迎えてくれました。
そこで衝撃的だったのが、オランダ人の友人が、ドイツ人のコミと話す際に、お互い勝手に自国語でペラペラ話してコミュニケーションが成立していたことでした。
なんで分かんの?と聞いてみたら、ドイツ語とオランダ語はかなり似ているため、お互い話せはしなくても意味が分かるらしく。
そんなこんなでOpening Ceremonyの会場へ連行され、大会が始まりました。
【結果は....】
R1は、3位くらいでスタート。
R2, R3 は英語が聞き取れないし、結構苦しかったのですが、2位~3位らへんだった気がします。
ブレイクはさすがに厳しいだろうかなと思い、せめて最後は勝って終わろうと、R4に臨みました。
周りもよくわからん話をしていたので、1位か、せめて2位くらいは取れたのでは、とドヤ顔する準備して、ジャッジのcallを待ちました。
結果、、、
4位でした。
思わず聞き返しました。
結果はやっぱり、、、
4位ンゴ
RFDを聞いていたら、ほとんどこちらの話した内容が反映されていませんでした。
さすがにイラジャちゃうかと思い、ラウンド後にフィードバックをもらいに行くついでに
いろいろ聞いてみました。
ジャッジ曰く、
「うーん、変なアクセントで早く話してるから、何言ってるか分からんかった☆」
「次からはもっとゆっくり話そう」
とのこと。
涙腺崩壊5秒前でした。
大会終わってみて、スピーカースコア確認したところ、下から観たらベストスピーカーもらえる順位。
挙句の果てに、ディベート初めて3か月のチームメイトよりも点数が低いという、先が思いやられるスタートでした。
【焦り】
そんなこんなでボコボコにされた大会もあっという間に終わって、ライデンの人らとはベルリン駅でバイバイし、一人で旅行でチェコへ向かいました。
チェコへ向かう列車の中で、まずは英語力を何とかせねば、と自分の中で焦りが芽生えていました。
2018年2月3日土曜日
〔コラム〕Leiden回想録 ① ~ オランダでディベート始めました ~
先日、昔の記事をだらだら見返していて、意外とLeidenにいた頃の体験談的な話は書いていなかったのだなと気づき、せっかくなんで朧げな記憶をたどりつつ、その時の経験を何とか言葉として紡げれば、と思います。
もう5年も前の話になるので、覚えていることだけつらつらと。
今後留学先とかでディベートをする人がいれば、その際の参考になればと。
日本のディベートという大きな枠組みで考えると、これから海外でディベートをやる人が増えることは間違いなくプラスになるとも思っておりますため、その一助になればという気持ちもあります。
【Leiden Debating Unionに参加するまで】
オランダに留学をしたのは、ちょうど今から5年前の2013年2月、大学生活2年目が終了しようとしていた頃でした。
日本にいるうちに、ライデンのディベート部をググって、メールで参加できないか聞いてみました。
オランダ人は返信が遅いと聞いていたのですが、1週間もしないうちに返信が来て、welcomeだからいつでも来てくれ、と言われ、ひとまず入部はすんなりと行きました。
大学によっては、入部のためのセレクションとかあるところもあるらしいので、事前に確認しといて良かったです。
ライデン大学の法学部棟の教室を借りて練習をしていたため、授業後に指定された教室に向かいました。
<法学部棟>
<オサレな図書館>
オランダ人だらけのディベート部に日本人単身で乗り込んだわけですが、初日は尋常じゃないくらい緊張して、ガチガチだったのを今でも覚えています。
30分くらい前に法学部棟につき、意味もなく同じところをぐるぐる徘徊していたため、警備員のおじさんに目はさぞ不審に見えたでしょう。
そんなこんなで時間になり、指定の教室まで行き、おそるおそるドアを開けてみたところ、「あなたがメールしてくれた留学生ね?」みたいなテンションで、温かく迎えてもらい、ライデンでのディベート生活がスタートしました。
【初めてのラウンドで1位を取り、調子に乗る】
練習は基本的に、1日2ラウンドやって、それぞれフィードバックをもらう、という、日本の大学と変わらないものでした。
初めてのラウンドでは、ディベートを始めたばかりのオランダ人の子とチームを組み、とりあえずラウンドが始まりました。
モーションは、THW criminalize ~って感じの、prostitutionでサービスを購入した人間を罰しましょう、みたいなモーションで、ポジションは確かCGでした。
Leiden Debating Union (以下LDU)はヨーロッパでかなりの強豪で、少なくともESLではトップクラスのレベルという認識だったので、恐怖で漏らしそうでした。
直前のベルリンワールズのESL Finalでは、4チーム中2チームがLeidenという異様な光景を目撃していたので、なおさら緊張していました。
幸か不幸か、最初のラウンドではESL Finalにいた人たちは同じラウンドにはいませんでしたが、それでもみんな強いのだろうと思い、がちがちでラウンドに。
いざラウンドが始まって、どんなことを話すか全神経を集中させて聞きました。
聞いていたのですが・・・
何言っているか分からない。
英語力の問題か、とも思ったのですが、少なくとも単語とかは最低限は聞き取れていて内容もなんとなく理解はできる。
ただ、なんでその話をこのモーションでしているのかわからない。
prostitutionのモーションで、「正義とは」みたいなふわふわした話を、7分間全力で話して、ドヤ顔をして帰っていく。
「これがヨーロッパのディベートか」と衝撃を受け、頭が混乱してとてもスピーチができる状態ではなかったです。
とはいえ、そんなことも言ってられず、ごくごく当たり前の話を、へたくそな英語で話して帰ってきました。
ラウンド全体で何が起きているのか理解できず、「これは4位か・・・」と思いました。
Decisionを聞くと。
1位。
ファッ!?
って感じでした。
ジャッジ(上述のESL Final出てた人の1人)いわく、
・お前のチームは、分析浅いけど、抑えるべきポイントは最低限説明していた
・他の人は何言ってるかよくわからんかった
みたいな感じでした。
ドヤ顔+英語力の組み合わせ凶悪すぎな。と思いました。
次のラウンドも2位かなんかで、意外となんとかなるやん、って調子乗ったのを覚えています。
まあ、調子に乗った人間の末路なんて、ロクなことが無い、というのが世の常ですね。
のちのちそんなのんきな自分の顔面にハイキックを食らわせたくなるのですが、その話はまた次回以降に。
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