Parliamentary Debateという即興型英語ディベートに関して、思ったことをつらつらと、気の向くままに吠え綴ります。 Debateという眼鏡を通して、人間とか社会とかといふものについて考察してみるBlog
2015年7月26日日曜日
ディベートってロジックゲーム?
お久しぶりです。
朝っぱらから蝉がやかましく鳴きやがるようになって、すっかり夏っぽくなってきましたね。
このクソ暑い中、就活と試験勉強にわれる毎日を送りつつ、何度か脳内で地球を滅ぼしかけました。
1.ディベートってなんだっけ?
さて、本題なのですが、ディベートってなんなんでしょうね?
いきなり突拍子もない質問で申し訳ないのですが。
というのも、最近ディベーター以外の人と関わることが増える中で、ディベートを普通の人に説明しなければならない機会が増えて、意外と説明するのが難しいなーと感じました。
よくディベートをしてるって言うと帰ってくる反応が、
「ロジックゲームみたいなイメージ」
とか
「あー相手を論破したら勝ちなヤツでしょwww」
とか。
なんか一般的にディベートは「反対の意見を持つ相手を、ロジックでねじ伏せるゲーム」みたいな印象が、多かれ少なかれあるみたいですね笑
橋下市長とかよく記者会見で○○新聞のアホな記者を論破してるやつとか、ああいうイメージが強いんですかね...
おそらく機械的に定義すると、
「与えられた論題(=motion)について、与えられた立場(肯定派・否定派)から、第三者である審査員を説得する競技」
といったところでしょうか。
ディベーターからしたら経験で分かりますが、一般の人が聞いたらピンとこなさそうですね。
これを一言でまとめると、
「他人を説得するゲーム」
ってとこですか。
一見当たり前のことなんですが、これは自分の中では割と面白い発見でした。
というのもディベートを実際にやっているディベーターの大部分(僕自身も含めて)ですら、「人を説得する」という部分をフォーカスしながらディベートにアプローチをしている人をあまり見たことがないような気がするんですよね。
やれロジックだ、ストラクチャーだ、マターが大事だ、マナーが大事だ、リサーチしろ、ニュースを読め、ストラテジーだ、プレパの時間が大事だetc..と例を挙げるとキリがないですが。。。
回りくどい言い回しで結局何が言いたかったかというと、おそらくディベートの本質っていうのは「人を説得する」っていう部分にあると思うんですよね。
2.「説得する」ということ
では「説得する」ってなんなんでしょうね。
みんなの人気者Wikipediaを参照すると、
説得とは社会的影響の一種であり、合理的かつ象徴・記号的であり時には論理的とは限らない手段を利用して、ある考え、態度、または行動を相手にさせる目的の行為、または別の誰かを差し向ける過程、プロセスである。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E5%BE%97)
とあります。
まどろっこしいので、個人的な解釈でざっくり言い換えると要するに
「人を動かす」
ってことじゃないかなと。
また、現代でも人を動かすというときによく引用される(?)、アリストテレスの『弁論術』における三種の説得方法として
-logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
-pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得
-ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得
などが挙げられています。
これを踏まえて、ディベートを再定義してみると、
「自分たちのサイドにVoteしてもらうという目的を、言語・非言語問わずゲーム内で許された表現手段を用いてジャッジに訴えかけるというプロセスを通じて達成しようとする」ゲーム
と表現できます。
3.「論理」と「感情」
無駄に理屈をこねてみたくなる性格のせいで、大分回りくどくなりましたが、要するに何が言いたいかと。
ディベートって要するに「スピーチっていう表現手段を通じて、人の心を動かすっていう一種のアートなんじゃないか」ってことです。
かなり大げさですが(笑)
ディベートって聞いて真っ先に想起されるのがロジックであることに違和感を持ったのは、論理という、人を説得する上での一要素だけを強調して一般化されているから。
さらに個人的なには、人を動かす上で本質的に大事なのは完璧な論理ではなく、もっと人間臭い感情に訴える要素だと思います。
ロジックっていうのは、他人にメッセージを伝えるための最低限のマナーやルールみたいなもので、それだけで人を感動させるすスピーチは出来ないかなと。
人間なんてそもそも論理的はなく、感情的な生き物ですし笑
だいぶ話を単純化しましたが、もちろん実際は両方大事です(笑)
現実では、そもそも最低限のロジックがない議論は、どんだけ感動的なことを言っていても説得されないですし笑
ただ、あるレベルを超えると、どうやって相手の感情を想起するか、どんな感情に訴えればよいのかなど、そういうより人間臭い部分を扱う必要が出てくるのかなと思います。
こういう見方をすることで、ディベートを、ただのロジックゲーム以上の何かとしてとらえ直すきっかけになればと思いますし、ディベートの練習をする過程で得られる能力の可能性が広がって面白いかなと。
4.ディベートをする理由
話が若干飛ぶんですが、僕は最初の2年くらいはディベートを惰性でやっていて、なんのためにディベートをやっているのかよくわかんなかったんですよね。
大会で結果を残そうとと必死に努力した先に何が残るかなーと、自分の中で必死に練習するための納得のいく理由が見つからなかったというか。
大会で結果を残して、オーソリと呼ばれるようになって、周りからチヤホヤされてえらい人間になった気分を味わえる、以外に正直あんま思いつきませんでした笑
あとは論理的思考力がつくとか、英語が話せるようになるとか、ちょっとプレゼンがうまくなるとか。
まあもともと考えること自体は好きなのと、英語は話せるようになりたいけど真面目に勉強するのはだるいから、ちょうどいいしディベートやっとくかくらいのノリで続けてました笑
んでオランダに行くことになって、環境変わるしそろそろ一回くらい本気でディベートやってみるかーと思って、多少真面目に練習してみたんですが。
過程をだらだら話すとまた長くなるんではしょりますが、真面目に練習してみたらある時期からそこそこ楽しくなってきたんですよね。
なんで楽しくなってきたのか考えたら、自分のスピーチでほかの人が驚いたり、テンション上がったり、楽しんだりしてくれる、っていうのが楽しかった、って感じです。
ちょっと前までバンドもやってたんですが、自分がライブして観た人が楽しんでくれた時の充実感と似ているというか。
もちろん以前より試合で勝てるようになったのも楽しくなった一因としてあるとは思いますが。
まあそんな感じで、どうやったら自分のスピーチを観ている人に対して何かしらポジティブな影響(感情的なものでも、気づきでもなんでも)を与えられるか、っていうことを意識しながら今はディベートをやってる感じです。
これと勝負で勝つことも徹底させようとすると、なかなか難しいのですが笑
とまあ、長くなって何が言いたかったのかというと、ディベートって面白いよね、ってことです(笑)
ただの勝ち負けのつくロジックゲーム以上の魅力があるのんじゃないか、っていう視点で一度自分が打ち込んでいるものについて考えてみるのも、新しい発見があって面白いかと。
そろそろ試験勉強します。
しばらくクソ暑い日が続きますが、頑張って生きていきましょう。
登録:
投稿 (Atom)