2016年12月25日日曜日

RelevancyとTruth


以前Framingという記事で紹介したのですが、この動画が改めて良い資料だと思ったので、さわりだけ簡単に紹介します。
興味を持った方はご自身で観てみてください。

"How to win debates without really making arguments: An Introduction to Framing" with Adam Hawksbee
https://www.youtube.com/watch?v=Xd_8jrid_mk&t=136s)


・アーギュメントは大きく"Truth"と"Relevancy"の2つの要素から構成される。

・Truthはなぜその主張が正しいのか("Why is it true?")を証明するもの、Relevancyはディベートにおける判断基準を提示し、なぜ自身の主張が大事なのか("Why is it relevant/important??")を証明するものである。

・Relevancyを証明するためには、丁寧にcontextを説明することが大事になる。

・contextとはあくまで主観的なものであり、完全に正しい/固定化されたcontextは存在しない。(あくまでスペクトラム上でのどの部分を取ってくるかという、コントロール可能な要素である。)

・一般的に、ディベーターはTruthの証明に熱心だが、Relevancyの証明はおろそかになりがちである。





この動画を改めて紹介したのは、先日Japan BPでうまくいかなかった時ってのが、大体Relevancyの証明し損ねたことが多かったという自省からです笑

そこで考えたことが、特に「各チームの議論への貢献」というもので評価するBPにおいて、このRelevancyという指標が相対的に重要になってくるということです。

Asianほど、自分のチームだけで一つのTruthを完璧に証明することは求められないため、ある程度Truthを証明したら、残りはなぜその議論が大事かという証明を明示的かつ積極的に行うのが大事だと感じたからです。

ここらへんは意識を変えるだけでもすぐにそれなりの効果が期待できそうなので、もしまだこのブログを読んでいて、わーるずに行く人とかはぜひ意識してみてください。

例えば、Extensionを話す際は、最後の一分は"Why is it relevant??"という話をするとか。



わーるず出る方は頑張ってください。

そしてオランダを楽しんでください笑

カプサロンという料理と、Hertog Janというビール(スーパーで1ユーロくらいで買えます)が個人的におススメです。

2016年12月20日火曜日

知らない人の家に泊まるヨーロッパの大会


先日fbでディベーターの先輩とのやりとりで思い出したんですけど、

ヨーロッパの大会ってcrashという制度があるんですよ。


簡単に言うと、大会側が、遠くからくる参加者のために、自大学や開催地域のディベーターの人に宿を提供してくれる人を募って、勝手にアレンジしてくれる制度です。

僕もライデンで大会があったときは、ジャッジ兼コミをやりつつ、夜は遠くから来たディベーターの宿のホスト的な役回りをして、とてお面白かったです。

逆に遠くの大会へ行くときは、寝袋もっていって、みんなでその日あったばかりの人の家で雑魚寝してました('_')

さながらアナログ版ディベーター用Airbnb的な笑



日本でも大会の時仲の良い人の家に泊めてもらう、ってことはあるかと思いますが、大会側がホストを探して宿のアレンジまでやるっていうのはないですよねー(少なくとも僕の知る限り)

ライデンでやったときとか、有無を言わさず半強制的に宿を提供させる勢いでした笑



なんで今後大会のコミをやる可能性のある方で、面白そうだなと思った方は、ぜひ大会で導入してみてください。

crashという制度を日本に普及させた偉大なコミとして名前を残せるかも?

なーんて。

2016年12月9日金曜日

「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」


最近、ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』という本を読んでいたところ、個人的に面白い箇所があったので引用。

コミュニケーションの原則について。

様々な宗教の公案の中に、


「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」


という問いがあるそうです。


答えはノー。


音波は発生するが、誰かがその音を聞かない限りは音はせず、音は知覚されて初めて音になる。




この内容が示唆するのは、

コミュニケーションは受け手によって成立する

ということ。



もう何が言いたいかは分かると思いますが、ディベートも同じことが当てはまります。


つまり、ディベートという一種のコミュニケーション、さらに踏み込んで言えば、ディベートにおけるある主張が有効に成立するか否かは、コミュニケーションの受け手たるジャッジに100%依存するわけです。

これを念頭におけば、ラウンドの後にジャッジに噛み付いたり、しつこく文句を言うのがいかにナンセンスか分かるのでは無いでしょうか。

ジャッジが理解できなければ、そのアーギュメントは無かったのと同義であり、
その帰結としての敗北の責任も100%ディベーターが負うのです。



噂でしか聞いてないのですが、最近ジャッジに噛み付く人がまた増えてきたとの話をちらほら耳にします。

もしそれが本当ならもう一度コミュニケーションとはなんなのかという原則論を考えることや、知的な謙虚さのようなものを持つことが大事かと思います。

現役の頃は、納得のいかないジャッジをされたり、または自らがしてしまったりということは多々ありましたが、最終的にはこのシンプルな結論に収まるかと。

もちろんこれをジャッジがてきとーにジャッジすることの言い訳にするのは論外ですが。

聞いてくれる人がいないと、ディベートという競技は成立しないのです。



2016年11月20日日曜日

ディベートにおける「イシュー」の考え方

イシューを「本質的な論点」と便宜的に定義すると、

ディベーターは常に、

「このディベートにおけるイシューは何だろうか?」

ということを自問しなければならないわけですが。

ディベートにおいて論点というのは、分野ごとにそれなりに整理されていて、

First Principleとかクッキ-カッターとかある程テンプレートがあって、そこにモーションのユニークネスを絡めてラウンドごとにカスタマイズする、ようなイメージを持っています。

例えば、CJSなら

・Deterrence(抑止),
・Rehabilitation(更生)
・Punishment(応報)
・Separation(隔離(による社会の保護))

の4つの目的に照らして、どちらのサイドが良いか、そのメタなレベルでどの目的が優先されるべきか、などが論点になるイメージ。

Politics、特にdemocracyというテーマでいうと

Efficiency vs Accountability

はよく重要な争点となるポイント。


なので、ディベーターの視点としては、モーションと己の知識との対話を通じて、

「このモーションにおける論点はxxxだ」

という風に仮置きし、それをもとに議論を組み立てる。

これがある種「論理的な」アプローチ。



ただし、ディベートが「ジャッジを説得すること」を目的とした競技であることを踏まえると、イシュー、つまり「本質的な論点」は極めてシンプルかつ明確で、

「ジャッジが何を、どのように話してほしいか?」

である。

ジャッジは多かれ少なかれ内心に「この話をしてほしい」という欲求があって(自覚的にせよ、無自覚にせよ)

ようするにそこを満たしてあげれば、ジャッジは快くvoteしてくれる。


これは大多数の部分では、上述の「論理的に」導出された論点と一致していて、

その理由は単純にディベートが競技の性質上ジャッジに説明責任を課していて、かつ論理的に中立に判断することを啓蒙され、その手のトレーニングを積んでいるため。





ただし、説得の対象であるジャッジには習熟度や考え方に差異があって、時折論点は大きく異なる。

経験を積んだジャッジと、ディベートを始めたばかりの新入生(もしくはディベート経験のない人)がジャッジをする場合を考えれば明白。

突然クッキーカッターが自明の論点のように話したところで、ディベートをしたことのない人からしたら、

「いやそもそもなんでそこが大事な論点なの?」

となる。

そういう人たちは、「なんでそこが論点なのか知りたい」という欲求を持っていて、ディベータとしてはそこを説明したうえで、議論を提示することが求められる。



トランプがアメリカの大統領選を制したのも、多くの白人低所得者層が求めていたのが、

「政治家の立場から俯瞰して考えられた国をよくするための現実的な政策」

でなく、

「自分たちの生活の苦しみを理解して、不満を代弁し、それを解決するという約束」

であったからであり、それで大統領選で勝つのに必要な選挙ブロックでの得票数を稼いだ。




ディベートをやっていると、聴き手がそれなりに知識があって、論理的に判断するということになれている、という状態に慣れ過ぎてしまう。

だからジャッジは、あくまで説得対象の1分類でしかなくて、他の人を説得する場合にはスイッチを切り替える必要がある。

英語を話す機会がディベートに偏ると、やたら早口で論理に偏重したスピーチやプレゼンをしてしまうきらいがある。(ネイティブも含めて)

だから時折ディベートから離れて、違う視点を持った人の前で英語で考えを伝えるという経験を積んでおくと、より「何が真のイシューなのか?」ということを考える際に、より深い視座が得られると思います。


2016年8月21日日曜日

Does free will exist??


久しぶりの更新。わーるずの記事途中で止まってすみません、これから時間ある時にちょいちょい書いてきます(たぶん)


こないだまでEUDCがワルシャワの方で行われていて、久しぶりにディベートを見たのですが、なんだかんだ面白いですね。

特に面白かったのが、優勝したPEPが、free willの議論に関して、そもそもfree will って存在しないんじゃね?ってスタンスを取って、free willを前提とした議論を削りにかかるみたいなスタンスの取り方をしていたとこですね。

それが、Open SemiのCOの議論です。
https://www.youtube.com/watch?v=mFv9L0w7Q7o

ちなみに、同じようなスタンスを、今年のHWSで同じくMichael(とAshish)のチームが取っていたのを見ると、あの界隈で流行ってるのかもしれませんね笑

HWS R4のLOの議論です。
https://www.youtube.com/watch?v=Xu8g7H8BR5g

ポイントは、”free will存在しねえよ”ってスタンスを取りつつも、”even if idree will does exist~”って感じで、自由意志が存在しなくても、どっちにしろお前の世界ヤバいから、っていう2段構えのスタンスを取るとこかと。。



ちなみに、何言ってるかわからんて方は、自由意志と決定論についてググってみてください。

決定論っていうのは、かなり簡単に言うと、まず、因果律が常に成り立つ、つまり何かのものごとが生じるには必ず原因が存在する、ていう考えを前提とします。

すると、人間の脳も突き詰めれば物質の塊であり、脳の動きもあくまで電気信号のやりとりに過ぎず、人間の行動や思考もその物理法則拘束されることになります。

そうなると、ビッグバンを宇宙のはじまりと仮定すれば、そこから因果律に則って、すべての物理事象は動いていて、今私たちが自分の意志で決めたと思っている行動も、すべてあくまでその大きな流れの一部に過ぎず、自由意志なんてのはフィクションじゃないか、という考え方です。

例えば、「ディベートを始める」っていう行動も、自分の意志で決めたと思っているけど、実は自分の遺伝子要因や環境要因からの影響の中で必然的に生じた事象に過ぎず、つきつめれば自分が生まれたのも両親の意志ではなく、世界の大きな因果の流れの一部として生じた必然に過ぎない、というとらえかたです。

自分で意思決定したと思い込んでても、実は決まってたとか言われたら、なかなか絶望しますよね。

個人的には、自由意志は存在する(可能性は全然ある)と思っていますが、興味ある人は、脳科学とか、量子論とか、不確定性原理とか、そこらへんを漁ってみてください。

僕も文系で完全に専門外なので、細かい議論は全然わからないですが笑

話がそれましたが、ディベートで一番最初に教わる、Free choiceとかの前提となる議論に関して、ちょっとした新しい戦術みたいなのが見れて面白いな、と思った次第でした。




2016年2月12日金曜日

WUDC 2016 Grand Final ① ~ Opening Government ~

WorldsGF解説を書いてみたいと思います。

いくつかの記事に分けて書いていきます

今回はOGの話していた内容を大まかにまとめみました。

なるべく注意はしますが、一部もれや誤りがあるかもしれないので、やや批判的に読んで頂けるとありがたいです^^

Motion: THB that the world's poor would be justified in pursuing complete Marxist revolution.

動画URL : https://www.youtube.com/watch?v=tngaDNSlCpU

(1)各チームは何を話していたか?

 <OG>
Model(PM)
Marxist revolutionの定義
どんな形態のものでも「私有財産制の否定」を目標とする

Marxist revolutionの形態
①既存のシステム内部からの革命
   i.e. マルクス主義政府に投票して、極端な再分配政策を実現したり、私有財産制を否定する
  ②既存のシステムの外部から、強制的に制度を変革する

世界観
→現実的に、革命すべてがうまくいくとは限らず、多くの場合ただのさらなる再分配政策の進展にとどまるかもしれないと認めつつ、革命がうまくいった後の世界観を提示。
資本主義が成立する前のような、共有経済に基づいた社会で、人々が自分たちを労働者より価値のあるものとして定義していた時代のような社会が、革命後の世界であると説明。


〔1〕<Principle> Justification
①私有財産は人間の尊厳を侵害する(Why private property is unjust) (PM)

私有財産というものはそもそも、植民地や奴隷制、家父長制などを通じて不当に得られたものであり、本質的に略奪である。
仮に直接的な略奪ではないとしても、(政府の)過失である。例えば、知的財産権のように抑制的な私有財産を黙認し、税金を適正にかけないために、貧困層は必要な治療などにアクセスできない。

さらに、貧困層は、数世紀にもわたる公民権のはく奪、つまりはく奪と過失によって自身の権利を主張することを妨げられ続けてきたので、それに対して矯正を求める権利がある。
これは賠償やより多くの金銭を与えるだけでは不十分で、原理上独立の権利として、原状回復を訴える権利があり、平等の原則に照らして正当性がある。

最後に、仮に誰もが平等に資源にアクセスできるとしても、私有財産はなお人間の尊厳を侵害し続ける。
まず第一に、競争そのものが道徳的に恣意的で、不当である。
例えば、物質の欠乏が企業が成功する条件となったり、生まれつきの資質や才能によって恣意的に差異がうまれることは、道徳的に間違っている。
第二に、資本は様々なことに関して決定権を行使し続ける。資本家は、誰を雇うか、どんなスキルをつけるかということを決めることができる。

以上の理由から、私有財産制は人々の尊厳を侵害し続ける。


②マルクス主義革命は正当化される(Why Marxist revolution is justified) (DPM)

 →マルクス主義革命が暴力的で、かつ、失敗する確率が高いとしても、以下の理由により正当化される。

PMが述べたように、そもそも私有財産制そのものが暴力的である以上、それに抵抗する手段として暴力的な手段を用いることは正当化される。

・正当防衛は、仮に失敗することがほぼ確実だとしても正当化される。なぜかかというと、悪に対して抵抗することそれ自体が善であるから。

i.e.  ホロコーストにおいて、ポーランドのユダヤ人自治区に住んでいた人たちには、2つの選択肢があった。1つは、そのまま連れ去られること、もう一つは、実際に行われたように、仮に成功しないと分かっていても武器を持ち抵抗すること。この場合、後者の正当防衛は正当化される。


〔2〕<Practical> 

SQproblem

Opp.のモデルでは以下の理由により、構造的な変化は期待できない。(PM)

・民主主義の構造に問題がある。選挙区はゲリマンダーによって、構造的に抑圧され続けている。主要なメディアは資本家によって牛耳られ、何が良い政策かという議論は独占されていて、かつ人種差別的なレトリックでさらに制度から遠ざけられている。また、歴史的な公民権はく奪によって、投票に来る可能性は他の人と比べて低い

・国際的なシステムの構成の不均衡。例えば、ブレトンウッズ体制はほとんど西欧の国家によって築かれた。人権機構は、社会的経済的権利より、市民権や政治参加の権利を重視する。(それらは私有財産を守る方向に働く(DPM)
以上の理由より、Opp.の世界では、構造的に改善が望めない。

具体例として、(DPM

・アフリカにおける絶対的貧困のレベルは、1960年代と比較して悪化している

・アフリカ系アメリカ人の平均賃金は下がり続けている

・トップ1%の資本家が資本を増やし続けている。



②成功する場合

Marxist revolutionは次の理由により成功しうる。PM)

Worlds poorは全人口の大部分を占めるため。特に資本家は、その利益の創出を労働者に依拠している。
・資源の場所が、発展途上国に偏っているため、彼らはそれらへのアクセスを持っている。

・人種的な分裂を超えて、Worlds poor は団結できるため、現状の資本家によって生み出されている人種的な断絶を克服できる。


さらにDPMから、

・兵士の大多数は貧困層である。例えば、アメリカ軍の徴募は大多数が(貧しい)アフリカ系アメリカ人。

また、Marxist revolutionへの過程で、とり再分配的な政策を実現し、私有財産制を徐々に瓦解させていくことができる。(DPM)

例えば、南アフリカにおけるRhodes Must Fall Movementのように、市民が抵抗することによって、政府に増税を通じて私有財産を徐々に否定し、再分配を促すことができる。

2016年1月28日木曜日

The Framework of Military Intervention


ライデン時代のレクチャーのメモが出てきたので文書化してシェアしときます。

Military Interventionに関するフレームワークです。

そもそも紛争というトピック自体が複雑で、特にBPなんかだと前提の確認で時間取られまくっちゃうことが多いので、こういう前提が頭に入ってると効率よくプレパできると思います。



(A)Before War

①What is the cause??

(a)Political tensions?

(b)Economical  i.e.コンゴ ダイヤ


②Justification for the Intervention

(a)Proportionate??

(b)Only way??

(c)proxy??

③Decision Making Process

(a)Domestic
・Executives (not Parliament)
・Media
・Public Opinion
(i.e. economy, the experience of past intervention)
・ties between countries

(b)International
・UN Security Council

(B)During War

①Rules of Wars

(a)Proportionality

(b)Targeting

②Objections??

(a)Who??
i.e. NATO, AU

(b)How??
what kind of strategy??

(c)Can it work??

・Will you get support from other countries??

・Will you get support from the inside??
i.e. rebels, local leaders

・defection from the other side??


(C)After War

①Nation Building

(a)Economy (day-to-day life)

(b)Arrange proper government's system

②Punishment

(a)ICC??
 i.e. Lebanon, Uganda

(b)TRC??
i.e. Argentina, South Africa

③Peace Keeping

・Support from other countries??

・Public Opinion

・New government

・The opposition
i.e. terrorists


2016年1月13日水曜日

あけましておめでとうございます


だいぶ遅くなりましたが、あけましておめでとうございます^^
先週わーるずから帰ってきて、試験勉強やら引っ越しの準備やらでドタバタしております。


わーるずの感想や、その他諸々書こうと思っている内容の記事に関しては2月以降の時間ができたころに更新しようと思っております。

卒業前に、微力ながらなるべくコミュニティにいろいろと還元できればと考えています。


それではひとまずこれくらいで。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!m(__)m